週刊ベースボール
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1983年版からは審判員名鑑や試合日程表、1984年版からは主な評論家解説者)の名鑑を追加[7]。2007年版からは、前年版まで支配下登録選手の名鑑に組み込んでいた育成選手のデータを簡略化したうえで、「選手名鑑」とは別に「育成選手名鑑」を設けている。このように名鑑の掲載対象が年々増えているため、現在は打撃投手のデータや野球評論家・解説者の名鑑を割愛。「選手名鑑」には1球団あたり5ページを割り当てているため、コーチの多い球団を掲載する場合には、二軍・育成コーチの一部について掲載スペースを小さくすることで対応している。

2010年版までは長らくモノクロの誌面に掲載していた。選手の成績(コーチ・監督の場合には現役選手時代の成績)については、前年度の一軍戦(未出場の場合には二軍公式戦)の成績とNPB一軍戦(MLB球団からの新入団選手ではMLB公式戦)での通算成績を分けたうえで、「勝敗数・セーブ数(1976年版から)・防御率・登板試合数」(投手)か「打率・本塁打・打点・出場試合数」(野手)を文中で紹介していた[注 6]。しかし2011年版のカラー化を機にスタッツ欄を独立、投手成績に「ホールド数・投球回数・奪三振数・通算自責点」、野手の打撃成績に「打席数・安打数・盗塁数・四球数・三振数」をそれぞれ追加した。

なお、2007年版から2011年版まではTBSラジオの中継番組『エキサイトベースボール』のPRを兼ねて、選手名鑑と同じ体裁による同番組の解説者・アナウンサーの名鑑を掲載していた[注 7]。現在は名鑑号に限って「編集後記」で編集担当者(2?3名)を名鑑風に紹介している。また、新旧名鑑の掲載データにちなんだ特集も組んでいる。

また、名鑑号では、数年ごとに紙面のデザインや活字をリニューアル。NPB加盟球団のトレード・新規契約期間が7月31日で終了することから、2013年2014年の8月第1週発売号には、「途中入団選手名鑑」(名鑑号の発行後に異動・入団・退団した監督・コーチ・選手を選手名鑑と同じスタイルで2ページにまとめたモノクロ版の名鑑)を組み込んでいた。2015年からは、名鑑号と「途中入団選手名鑑」の内容を組み合わせた「全選手完全名鑑」を、リーグ別にカラーで編集。8月中旬の発売号で、「セ・リーグ編」「パ・リーグ編」の順に、2週にわたって掲載するようになった。
主な企画
対談・インタビュー

創刊以来、週ベが売りにしてきたのが、選手や関係者の対談、インタビューである[8]。創刊の契機となる存在であった長嶋は、大学時代同級生であった杉浦忠と開幕戦を振り返る対談に登場したのを皮切りに、球界関係者を始めとして、芸能界や他のスポーツ界の著名人などとの対談を通して、週ベ誌上に最も多く登場した[9]

また、1959年にはシーズン中にも関わらず、当時同じパ・リーグで監督を務めていた南海ホークス鶴岡一人西鉄ライオンズ三原脩の対談を掲載していた。より込み入った話を引き出そうと、ホストにプロ野球OB選手を起用して、連載企画とする期間もあった(連載企画で最も長く登場したのが佐々木信也であった[8])。こうした対談を通じて、選手や監督の声を提供し続けている。
連続写真に見るプロのテクニック

週ベが創刊以来売りにしてきた企画として、各選手の打撃フォーム投球フォーム紹介も挙げられる。これは、各選手のフォームの連続写真を掲載し、OB選手の解説を加えたもの。8ミリアイモ改造機を経て、現在はビデオ撮影したものが誌面に掲載されている。創刊当初は今ほどビデオなどが普及していなかった時代背景もあいまって、選手のみならず、プロ野球選手を志す少年の読者層にも人気を博した[10]。現在は薮恵壹大島康徳柴原洋が解説を務めている。
記録の手帳

1961年1月4日号より『記録の手帖』として連載を開始、各種記録を材料にしたコラムでほぼ毎号掲載され、誌上最多を誇る連載企画となっている。執筆は千葉功(元パ・リーグ公式記録員→記録部長)が担当。

1960年に1年間担当した『1960年の勝負手』という連載企画が前身で、『記録の手帳』の企画を依頼された際に千葉は連載を続けられない旨を伝えるが、編集部から「500回でも1000回でも続けますから」と返されてしまい連載が開始された。編集部に長期連載の真意があったかどうかは不明だが、千葉は長期連載のことを意識せず、ただ「記録を面白く読ませる」ということを目標とし、その姿勢は変わることのないまま、連載回数は1980年6月2日号で1000回、2000年2月28日号で2000回を超えた。これは、企画開始当初、地方では事務所を見つけて手書きの原稿を発送していた作業が、1990年代後半頃以降はEメールを送れば済んでしまったり、資料を整える作業も、メジャーリーグの記録がインターネットですぐ手に入るようになるなどして、原稿を書く際に生じる負担が軽減されたのも大きい。千葉は創刊50周年当時のインタビューで「休載もなければそのピンチもない。もう、ここまでくると自分から『休載にしてください』とは言いかねますからね」と、連載の続行に意欲を見せている[11]

なお、『記録の手帳』の1000回までの連載分を中心に再編集した『日本プロ野球記録史』(全5巻、1982年)、1000回以降2000回までの連載分を中心に105本を抜粋した『プロ野球 記録の手帖』(2001年)が刊行されている。また関連書として『ベースボール・レコード・ブック日本プロ野球記録年鑑』(1982年創刊、毎年年末ごろ発行)がある。

2000年代以降、『ベースボールマガジン』において「出張版」として同誌の特集テーマに基づいた企画を掲載することがある。
野球浪漫

ペナントレース中行われる不定期連載。取り上げるのはかつてチームの中心選手として活躍したが、現在は成績が低迷している選手が中心。また、不調や故障を乗り越えて復活した選手を取り上げることも。2013年度はカラーページとなった。
惜別球人

毎年ペナントレース終了後に行われる(一部例外あり)。惜しまれつつ現役引退した選手へのインタビュー企画で、現役生活を振り返ると共に現役生活で最も印象に残った試合を選んでもらっている。選ばれるのは10年以上一軍のレギュラーとして活躍した選手がほとんどである。
ボールパーク共和国

1980年代頃より連載を開始、読者による投稿で構成されるコーナーでボ共と略される。主なコーナーは「きっといる」「なんとなく似ている」「なんだ?製造機」「魔の三重殺」「ダジャレー夫人の恋人」「球辞苑」「あったら怖い」「小言倶楽部」など。ネタの優秀な投稿者は週間・年間で表彰され、BBMカードなどが贈られる。1989年には同コーナーの傑作をまとめた単行本『いきなりビーンボール』(同年8月発売。編者;週刊ベースボール・ボールパーク共和国。書籍コード:ISBN 4583027885)が出版された。

やくみつるが同誌で連載する漫画(後述参照)では、同企画のコーナー名をネタに流用することがある。
CULTURAL REVIEW about BASEBALL

野球文化に関するコラム・レビュー2001年より連載。野球に関する書籍・音楽映画トレーディングカードゲームソフトなどについて、各寄稿者によるコラムで紹介されている。初期は2ページ・4人の担当枠で掲載していたが、その後は1ページ・2枠が基本となっている。
主な寄稿者


石富仁(ライター)
書籍

スージー鈴木(音楽評論家、野球評論家)
音楽。元々「野球音楽評論家」として開始当初から寄稿していたが、2007年以降同誌では「野球文化評論家」に肩書を変え、音楽以外のものも取り上げるようになっている[注 8]

しゅりんぷ池田(カードライター、元カルビーエポック社社員)
トレーディングカード。自身が編集に関わっている「BBMベースボールカード」など、野球もののカードグッズを紹介していく。カードゲームに関しては、後述の小野が取り上げる場合があるが、1948年頃に発売された「新野球かるた」については、池田が取り上げた。

小野憲史(ゲームライター、元ゲーム批評編集長)
ゲーム。主にコンピュータゲーム(ゲームソフト)を取り上げる。ゲームソフト以外にも、家庭用バッティングマシンやトレーディングカードゲームを取り上げたこともある。
その他の企画

やくみつるの12球団ドガチャカ交流試合(4コマ漫画
2001年、『やくみつるのセ相冗談』を引き継ぐ形で連載開始。ほぼ毎回、最近の野球界の出来事をネタにしており、セ・リーグ編とパ・リーグ編に分けている。

ベースボールゼミナール
野球に関する技術的な質問を元プロ野球選手が答える。回答者は打撃は大島康徳、投手は水野雄仁、守備は笘篠賢治水上善雄小関竜也、捕手は土井淳


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:59 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef