週刊ベースボール
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一方で、12球団のみならず、当時貴重な情報であった大リーグの記事も掲載することで、バランスを確保していた[3]。その上で、一貫性があり中身を伴っていた記事も評価され、選手や監督も大きな信頼を寄せていた[4]

以降、様々な週刊誌や野球雑誌が終刊していく中で野球を専門的に取り上げる雑誌として生き残り続けた週刊ベースボールは、日本プロ野球全体を支え続ける雑誌に成長。後にプロ野球で活躍している選手で、少年時代、週ベの愛読者だったという例も見受けられる[5]。選手にとっても、週ベに自分の記事や写真が載ることは一つのステータスであり、特に表紙に載るということは名誉なことであった[6]

あらゆるメディアが野球を多角的に取り上げるようになった現在も、豊富な情報量と創刊時のポリシーを貫いた記事は健在で、野球関係者を含め読者に受け入れられ続けている。1993年6月7日号で創刊2000号を迎えたときには、創刊以来の雑誌の顔であった長嶋、王貞治による特別対談を掲載。2008年には創刊50周年を達成。50年間にわたりプロ野球の情報を提供し続けた雑誌として、その歴史も認知されている。2010年7月21日発売の8月2日号で創刊3000号を達成。長嶋のインタビュー、王・山田久志の対談などのほか、歴代週ベの表紙を100号おきに紹介した。また、8月16日号(8月4日発売)まで3週に渡り、3000号記念の特別付録としてスペシャルベースボールカードが封入された。

現在は毎週水曜日発売。後述の企画の他、注目されている野球界の話題に関する連載やコラム、やくみつる4コマ漫画、読者によるアンケートのコーナー、独立リーグや日本国外のプロ野球リーグに関する情報などが掲載されている。
題字

創刊当時の題字(タイトルロゴ)は、『ベースボールマガジン』(1947年より使用)の「ベースボール」の文字を右に傾けた字体と、その横に縦組みで同じく右に傾けた「週刊」の文字(明朝体)を入れたデザインを採用(表紙画像を参照)。以来、サイズの変更があったものの、字体に変化のないまま、1999年4月12日号まで表紙に使用された。

1999年4月19日号より、初めてデザインを変更。「ベースボール」の字体を引き継ぎつつも、「週刊」の文字が斜体の縦組みから正体の横組みとなり、右上に小さくゴシック体で表記されるようになった(表紙以外では「ベースボール」の横に縦組みで表記)。2001年4月9日号まで使用。

2001年4月16日号より、「ベースボール」の文字が縦に圧縮された字体となり、右上に太字ゴシック体で「週刊」の文字が、右下には新たに英文表記「WeeklyBaseball」の文字が入った。2002年4月8日号まで使用。

2002年4月15日号より、「週刊」の文字が右下へ移動し、すぐ横に小さく「W e e k l y B a s e b a l l」の文字(ともに、やや太めのゴシック体)が入ったデザインを採用した。2011年4月4日号(3月23日発売)まで9年に渡り使用された。

2011年4月11日号(3月30日発売)より、「週刊」の文字が右に傾いた字体となった。また10年ぶりに英字表記が消えた。

なお、増刊号に関してはこの限りではなく、題字のデザインが本誌と若干異なる場合や通常の題字が使用されない場合もある(別冊についても同様である)。
プロ野球全選手写真名鑑

毎年2月中旬(おおむね10日前後)には、日本野球機構(NPB)に在籍する選手・コーチ・監督のデータと担当記者による寸評を収録した名鑑として「プロ野球全選手写真名鑑」(2002年版まで「プロ野球全選手写真名鑑号」)を発売している[注 3]

2月1日キャンプインで選手が一堂に会したところで個々の選手の顔写真を撮影したうえで、いち早く編集・製本するため、他社発行の選手名鑑より先に店頭に並ぶことが特徴。表紙には、そのシーズンの主力・注目選手の顔写真(1球団あたり1名)を並べている。ただし、発売日は本誌の正規発売日(現在は水曜日)とは限らない。また、名鑑号の発行以降に入団・退団・移籍した選手・首脳陣については、シーズン中の支配下登録期限日(毎年7月31日)直後に発行される通常号に特集扱いで紹介される。

登録名が漢字の場合には、平仮名日本国籍の場合)か片仮名(韓国・台湾・中国籍の場合)で読み方を付記。登録名と本名が異なる場合には、登録名の読み方を紹介しない代わりに、本名の漢字と読み方を記す。上記以外の国籍を持つ選手・コーチ・監督については、登録名を片仮名で表記するとともに、本名も片仮名および英語で掲載する。

本誌のプロ野球選手名鑑号が最初に発行されたのは、創刊翌年にあたる1959年の3月11日増大号[7]。「1959年プロ野球12球団全選手写真名鑑」の表記が入った。当時は『ベースボールマガジン』が別冊付録として発行していたものと同じく1球団2ページであった[7]が、1960年版からは1ページに縮小され1965年版まで続いた[7]

1965年に『ベースボールマガジン』が休刊したことから、1966年版からは1球団2ページに戻しつつ、一部のコーチ、選手については写真を掲載せずに名簿形式で紹介するようになった[7]。その後は一時、写真を掲載しない選手の名簿を、リーグごとに2ページの見開き形式で紹介している[7]1981年には、『ベースボールマガジン』の別冊付録に合わせて、1球団あたりの掲載規模を4ページに拡大。全選手・コーチの写真と詳細なデータが掲載されるようになった[7]

1983年版よりデータ項目に「家族構成」[注 4]を追加。1984年版から「出身地」「血液型」「ニックネーム」(1991年版まで)「好きなタレント」(未婚者のみ、男性タレントも含む)「年俸の増減」「保有する車のブランド名」などが追加[7]。プロ入り後の各チーム入団年等のほかに1990年版までは、選手・コーチ・監督の住所も明記していた[7][注 5]。掲載者数が多いチームはコーチなど1/2頁となり、打撃投手、練習生なども同様に球団巻末に掲載(これらスタッフは次第に省略)。

1983年版からは審判員名鑑や試合日程表、1984年版からは主な評論家解説者)の名鑑を追加[7]。2007年版からは、前年版まで支配下登録選手の名鑑に組み込んでいた育成選手のデータを簡略化したうえで、「選手名鑑」とは別に「育成選手名鑑」を設けている。このように名鑑の掲載対象が年々増えているため、現在は打撃投手のデータや野球評論家・解説者の名鑑を割愛。「選手名鑑」には1球団あたり5ページを割り当てているため、コーチの多い球団を掲載する場合には、二軍・育成コーチの一部について掲載スペースを小さくすることで対応している。

2010年版までは長らくモノクロの誌面に掲載していた。選手の成績(コーチ・監督の場合には現役選手時代の成績)については、前年度の一軍戦(未出場の場合には二軍公式戦)の成績とNPB一軍戦(MLB球団からの新入団選手ではMLB公式戦)での通算成績を分けたうえで、「勝敗数・セーブ数(1976年版から)・防御率・登板試合数」(投手)か「打率・本塁打・打点・出場試合数」(野手)を文中で紹介していた[注 6]。しかし2011年版のカラー化を機にスタッツ欄を独立、投手成績に「ホールド数・投球回数・奪三振数・通算自責点」、野手の打撃成績に「打席数・安打数・盗塁数・四球数・三振数」をそれぞれ追加した。

なお、2007年版から2011年版まではTBSラジオの中継番組『エキサイトベースボール』のPRを兼ねて、選手名鑑と同じ体裁による同番組の解説者・アナウンサーの名鑑を掲載していた[注 7]。現在は名鑑号に限って「編集後記」で編集担当者(2?3名)を名鑑風に紹介している。また、新旧名鑑の掲載データにちなんだ特集も組んでいる。

また、名鑑号では、数年ごとに紙面のデザインや活字をリニューアル。NPB加盟球団のトレード・新規契約期間が7月31日で終了することから、2013年2014年の8月第1週発売号には、「途中入団選手名鑑」(名鑑号の発行後に異動・入団・退団した監督・コーチ・選手を選手名鑑と同じスタイルで2ページにまとめたモノクロ版の名鑑)を組み込んでいた。2015年からは、名鑑号と「途中入団選手名鑑」の内容を組み合わせた「全選手完全名鑑」を、リーグ別にカラーで編集。8月中旬の発売号で、「セ・リーグ編」「パ・リーグ編」の順に、2週にわたって掲載するようになった。
主な企画
対談・インタビュー

創刊以来、週ベが売りにしてきたのが、選手や関係者の対談、インタビューである[8]。創刊の契機となる存在であった長嶋は、大学時代同級生であった杉浦忠と開幕戦を振り返る対談に登場したのを皮切りに、球界関係者を始めとして、芸能界や他のスポーツ界の著名人などとの対談を通して、週ベ誌上に最も多く登場した[9]

また、1959年にはシーズン中にも関わらず、当時同じパ・リーグで監督を務めていた南海ホークス鶴岡一人西鉄ライオンズ三原脩の対談を掲載していた。より込み入った話を引き出そうと、ホストにプロ野球OB選手を起用して、連載企画とする期間もあった(連載企画で最も長く登場したのが佐々木信也であった[8])。


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