週刊ベースボール
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1962年11月14日号から1963年4月29日号まで全24回)を挙げている[13]

その他、主として以下の連載小説が掲載されている。

タイトル作者連載開始号連載終了号連載回数
黒いペナント有馬頼義1958年12月3日号1959年4月15日号20回
春の打席藤沢桓夫1959年4月22日号1959年8月19日号18回
眼鏡の打者五味康祐1960年1月13日号1960年5月11日号18回
10番打者佐野洋1961年11月27日号1962年5月21日号26回
地下球場佐野洋1962年8月20日号1963年4月22日号36回
まぼろしの監督有馬頼義1966年11月7日号1967年4月17日号24回
スポットライトの陰にふしみゆう1978年12月18日号1979年1月22日号5回
マジック・レース'85川上健一1985年1月7・14日合併号1985年1月21日号2回
ミスター川上健一1992年1月6・13日合併号1992年1月20日号2回
「丸ごとラッキーゾーン」の秘密川上健一1992年4月18日号1992年4月25日号2回

連載漫画

二軍の旗
1970年ごろ連載。
つのだじろう作品。

ギャグ漫画<一発ギャグ転>
1984年2月6日号から同年途中に連載。アオシマ・チュウジ(アオシマチュウジ)と高岡凡太郎の担当。

乱セ下剋上
1984年途中から11月頃まで連載。セントラル・リーグを題材とした。高岡凡太郎の作品。

混パDEフィーバー
1984年途中から11月頃まで連載。パシフィック・リーグを題材とした。アオシマチュウジの作品。

ホイホイ球人案内
1984年11月頃から1986年4月28日号まで連載。高岡凡太郎の作品。

巨人―阪神「笑待席」
1986年5月5日号から12月8日号まで連載。やくみつると共同で担当。

やくみつるのセ相冗談
1986年12月15日号から2001年初めごろまで連載。セ・リーグネタの4コマ漫画。1999年初め頃までの連載分は、自身の単行本『パロ野球ニュース』(全15巻、「はた山ハッチ」名義)→『やくやくスポーツらんど』(全5巻)に収録されている。

OH!OH!嵐パ
1986年12月15日号から2001年初めごろまで連載。高岡凡太郎による、パ・リーグネタの4コマ漫画。

畑田国男の球界珍獣図鑑→畑田国男の兄弟型野球学
1コマ漫画とコラムで構成された巻末の連載コーナー(1996年、畑田の死去により連載終了)。『…球界珍獣図鑑』は、主に日本プロ野球界における選手・指導者を動物や幻獣に擬態化した1コマ漫画だった(MLB監督のトム・ラソーダが題材にされたこともある)。

隠し球ガンさん
1999年から2001年頃まで連載。プロ野球の老スカウトを主人公とした劇画(作:木村公一・画:やまだ浩一)。元々『コミックビンゴ』(文藝春秋発行の漫画雑誌)1996年6月号から1999年2月号まで連載していた作品(ビンゴ連載分については文藝春秋より「BINGOCOMICS」レーベルで全4巻発売)。
別冊

週刊ベースボール別冊
ジャンルスポーツ雑誌
(野球専門誌)
刊行頻度季刊
発売国
日本
言語(日本語)
出版社ベースボール・マガジン社
雑誌名コード044
刊行期間1974年秋季号 -
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1974年からは、別冊として『別冊週刊ベースボール』(べっさつしゅうかんベースボール)を発行している(創刊号は、秋季号)。発行ペースは、原則季刊としつつ、発行号名には各発行時期ごとにちなんだフレーズを入れた上で[注 11]、不定期に発行している。1999年途中発行分あたりから『週刊ベースボール別冊』(しゅうかんベースボールべっさつ)のタイトルで発行している(国立国会図書館のデータベースでは『別冊週刊ベースボール』のままとなっている)。

誌面内容は、季刊ペースであることから速報性によらない特定のテーマを掘り下げたムック形式となっている。取り上げる題材は、概ね日本プロ野球であるが、MLBを特集することもある。MLBについては、2008年以降、同社が1997年から2008年まで発行していたMLB専門誌『月刊メジャー・リーグ』を引き継いだ『メジャー・リーグ』(Major LEAGUE)として不定期で発行している(最初は、10月17日に初冬号として発売された『記録集計号』。2011年6月23日発売の『メジャー・リーガーのマル秘テクニック&練習法』は、『ベースボールマガジン』7月号増刊として発行)。

1990年からは、本誌と並行する形で『プロ野球選手カラー写真名鑑』を発売している。「夏季号」として(シーズン中頃にあたる7月)の発売であったため、シーズン途中の移籍などに対応されていた[7]が、1991年より開幕へ合わせた時期に「桜花号」として発売されるようになった。1992年より観戦ガイドを兼ねた『イヤーブック』として発売されるようになっている[7]

2011年5月6日、週刊ベースボール別冊青葉号として新雑誌『週刊ベースボール+PLUS』の第1号を発売した。

別冊の復刻版が発行されることもあり、1974年秋に長嶋茂雄の現役引退を記念して発売した冬季号『長嶋茂雄 その栄光の軌跡』(12月1日発行、第1巻第2号)が引退25周年を迎えた1999年10月に『B.B.MOOK』というムックシリーズの171号(『スポーツシリーズ』No.71)として復刻された[注 12]ほか、1985年に阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝を記念して発行した秋季号『タイガース優勝』(10月31日発行、第12巻第4号通巻61号)が18年ぶりのリーグ優勝を控えた2003年秋に週刊ベースボール別冊秋季号『爆走!2003阪神タイガース・タイムスリップ1985栄光のV号』(9月15日発行、第30巻第7号通巻177号)への閉じ込みという形で表紙・裏表紙含め復刻された(当時の広告ページ・スペースは、復刻時現在の自社広告に差し替えられた)。
野球以外のスポーツを扱った増刊・別冊

1980年代頃までは、バックナンバー上の前身にあたる『ベースボールマガジン』(1946年4月 - 1958年4月発行分まで、月刊として発行)と同じく、「ベースボール」(=野球)を名乗りながら、野球以外のスポーツを扱った増刊号を発行することもあった。

参考として、1972年にはミュンヘンオリンピックバレーボール競技日本代表を特集したものとして、9月30日号『ミュンヘンオリンピック 栄光の日本バレーボール』を、10月28日号『《栄光の金メダル》男子バレーボール12人のすべて』を発行していた。

また、1984年から1997年まで発行していた月刊スキー情報誌『Skiing magazine』(月刊スキーイングマガジン)も元々は週ベ増刊として1976年から1980年まで『スキー案内』、1981年から1983年まで『Skiing』のタイトルで秋から冬の間に発売していた[14](前述時期以前にも、『スキー案内』を発行することがあった[注 13])。

別冊についても、2006年の冬に、トリノオリンピックへ出場する女子選手(フィギュアスケート安藤美姫モーグル上村愛子など)を特集した『トリノ五輪の女神たち』(早春号)が発売された(発行日付は3月10日)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『ベースボールマガジン』は改題に伴い一旦終刊したが、6月号より復刊し1965年まで週ベと並行して刊行。その後も1972年 - 1974年に季刊として復刊した後、1977年6月より月刊として三度復刊。
^ 本来月刊であるため4号になるのが自然だが、複数号発行した月もあるため7号となっている。
^ 2004年版より増刊号扱い。前週の本誌が合併号になるため、名鑑部分以外の内容は本誌とほぼ同じ。増刊号としている理由は、返品期限を長くすることで、書店などで長期間販売されやすくするためである。同じBBM発行の週刊プロレスも同様の理由で名鑑は増刊号としている。
^ 当初は「配偶者・子供の名前」「年齢」を明記したが、2004年版から「年齢」を除外。2005年版からは「名前」を伏せる代わりに、「妻」「妻と?男」「妻と?女」「妻と?男?女」(?は子供の人数)のいずれかで表記。さらに2014年度版からは既婚者のみ「既婚」と表記されている。
^ ただし、一部の選手(外国人選手や単身赴任中の妻帯者など)については「球団気付」とだけ表記していた。
^ 投手の場合には打撃成績を割愛。前年度に一・二軍の公式戦へ出場していない選手や、選手生活を通じて一軍公式戦への出場経験がない選手や、プロ野球選手の経験がないコーチについては「出場なし」と表記する。
^ アナウンサーについては、顔写真と氏名のみ紹介。
^ 参考:2009年MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島についての映像DVDソフトを取り上げている。
^ 2006年3月6日号掲載の第99回で、今竹七郎(南海ホークスの鷹マークを手掛けた、商業デザイナー)の生涯についてまとめた本として『昭和のモダニズム今竹七郎の世界』(1989年、編集・発行:株式会社今竹)が紹介された。
^ 『B・B MOOK』626号(『スポーツシリーズ』499号)。書籍コード:ISBN 4583616171
^ 例として、


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