ここから、州法は、憲法・連邦法・条約に反してはならないとされる。また、憲法と制定法は、判例法に優先にするとされているので、合衆国憲法や連邦法、州憲法や州法による規定が存在しない場合は、コモン・ローが法源となり、それは今日も日々刻々と進化を続けていると考えられている。 「州法」はここに転送されています。ここでは、アメリカの州の事例について記載されています。 連邦法で定めることができるとして限定列挙された事項以外については、州または人民に留保され(修正第10条を参照)、各州は、各州の人民の信託に基づく強大な固有の権限(ポリス・パワー)を有している。 各州はこの権限に基づき、それぞれ合衆国憲法とは別に独自の憲法をもち、それぞれの州憲法に基づき州の統治機構を定めている。例えば、州議会が一院制の州もあれば、二院制の州もあり、その他にも州議会の会期、裁判所の種類・名称、訴訟手続、裁判官の任命方法が異なっている。各州の統治機構が異なる一方で、州の憲法の内容は、合衆国憲法とほぼ同じである。人々はむしろ、より詳細で条文数も多い州憲法の方が、合衆国憲法より自州の市民に寛大な権利と特権を付与していると考えている。 各州議会は、「各州が条約を締結すること、貨幣を鋳造すること、私権剥奪法、遡及処罰法あるいは契約上の権利義務を損なうような法律を制定すること、貴族の称号を授与すること」など合衆国憲法第1章第10節が州法で定めることを特に禁止した事項以外について、広範な立法権を有している。 そのため、日本において刑法、民法ないし商法[注釈 3]、会社法と呼ばれる重要な法律でさえ、アメリカでは、州ごとに州議会によって州法が制定され、州ごとに州裁判所によって判例法が形成されているという状況にある。当然にその内容も異なるため、事前に十分な調査が必要とされている。 このような状況は、あまりに法的安定性を害することから、民間から各州における規定の整合性を図る運動が起こり、1923年にアメリカ法律協会
州の強大な権限と州法.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}
また、同様の見地から、1952年には、アメリカ法律協会と アメリカ法曹協会 によって組織される統一州法委員会全国会議(en:National Conference of Commissioners on Uniform State Laws:NCCUSL)が、統一商事法典を制定した。ただし、これは法律ではなく、単なる法案モデルであって、実際に州議会で議決されて初めてその州における法律になる。議決に際して、法案モデルの条項を修正すること自由とされており、その例も決して少なくない。
以上のとおり、合衆国においては、州の権限は決して小さなものではなく、憲法に反しない限り、各州は自由に法律を制定することができる固有の強大な権限を有するとされている。この点が日本における憲法第94条に規定された、地方自治体の条例に対する国の法律の優位関係と根本的に異なっている。 合衆国憲法は、政治的な妥協の産物であり、連邦法の優位が認められる合衆国に規定された事項を、誰が、どのように判断するのかという問題について規定する条文がなかった。 合衆国憲法制定当初は、合衆国憲法に規定された事項については連邦法が優位するものの、それ以外の事項については逆に州のポリスパワーが優位するとされ、連邦の権限は限定的なものと解され、特に南部の州ではこのような考えが強かった。 しかし、連邦最高裁判所は、1803年のマーベリー対マディソン事件判決で、連邦最高裁判所が合衆国憲法の最終的な有権的解釈権を有し、合衆国憲法が人民に保障した権利を州法が侵していると判断した場合には、その州法を違憲無効とすることができるという考え方を示した。 その後、連邦最高裁判所は、この違憲審査制によって合衆国憲法に規定された契約条項や州際通商条項の解釈を通じて徐々に連邦の権限の拡大を目指すようになる。 もっとも、1819年のマカラック対メリーランド事件 合衆国憲法第1章第10節は、「州議会が契約上の権利義務を損なうような法律を制定すること」を特に禁止しており、これを契約条項という。 1819年のダートマスカレッジ対ウッドワード事件
違憲審査制と連邦の権限の拡大
契約条項
しかし、契約条項は、連邦にとって、州の強大な権限に対抗するための武器としては十分なものとはいえなかった。 合衆国憲法第1章第8節3項、いわゆる州際通商条項(interstate commerce clause)は、州際通商を連邦法で規律できる分野として規定しているが、「州際通商」は解釈のしようによって広くも狭くも解釈できる不確定概念であった。 1824年のギボンズ対オグデン事件
州際通商条項
もっとも、州際通商条項は、連邦議会が制定する法律をすべて正当化することができるとまでは解されていない。実際、1935年にシェクター鶏肉加工社対合衆国事件判決では、鶏肉加工工場内の労働者の労働時間と賃金を規制する連邦法が鶏を生きたまま他州から仕入れているにもかかわらず、工場内の労働である加工と販売はニューヨーク州内で行っていることから、一つの州内のみに関わる事項であり、州際通商に当たらないとして違憲とされたことがある。 以上のような連邦最高裁判所の判断を介した連邦の権限の拡大は、単に通商のみに限定されていれば特に問題は生じなかった。 ところが、 1857年に ドレッド・スコット対サンフォード事件判決で、ミズーリ協定が違憲とされ、連邦最高裁判所によって、連邦政府も領土政府も奴隷制度を禁止できないとの判断がなされると、奴隷制度の違憲をうたう共和党は政治的妥協の余地を失い、かえって奴隷制度についても南北の対立を助長する結果になり、各地で暴動が起こるなどして 南北戦争を誘発する一因となる。 1865年に南北戦争が終わると、合衆国全土に鉄道が引かれ、州を超えた商取引が活発となり、著しい経済発達を遂げるようになる。このような社会の変化は、むしろ各州の伝統的な慣習を尊重するより、全国的な共通市場の確立およびより大きな自由の確保を求めるようになったが、当時の政府は、このような問題を解決する能力を持たなかった。前述したリステイトメント事業のように各州間の法の統一運動ですら民間から起きたいわば下からの革命に頼らざるを得なかったのである。 連邦最高裁判所は、司法権の政策形成機能を重視する立場から、積極的にこの問題に対処しようとするようになる。そのきっかけとなったのが、「いかなる州も正当な法の手続によらないで何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない」と規定する憲法第14修正のデュー・プロセス条項の導入である。連邦最高裁判所は、1897年にレーガン対農民信用金庫事件 これまで見てきたとおり、合衆国は、強大な権限を有する州と連邦が衝突を繰り返しながら、徐々に連邦の権限を拡大してきたという歴史を有するが、その際、法の支配の下、合衆国憲法の解釈を通じて連邦と州の調停者としての役割を連邦最高裁判所が果たして来たのである。このことが正にアメリカ法が英国法を継受しながらも独自の法体系を有するに至ったゆえんである。 以上のような歴史を有する合衆国の司法制度は、他の法制にない次のような特徴を有している。 合衆国では、多種多様な紛争を解決する必要という実需に答える形で、各州で、民間から自然発生的に生じたロースクールによって法曹教育が行われたという歴史を有する。裁判官、検察官に任用についても、特別な教育を施すのではなく、民間の弁護士から採用するという法曹一元制をとり、英国と異なり、法廷弁護士と事務弁護士を区別しない制度をとったが、その結果として、90万を超える法曹人口と高度な法廷技術の発達を促した。 合衆国憲法修正第5条は、死刑または自由刑を科せられる犯罪について刑事事件における大陪審の審理を受ける権利を、合衆国憲法修正第6条は、刑事事件における小陪審の審理を受ける権利を、合衆国憲法修正第7条は、係争の価額が20ドルを超えるときの民事事件における陪審の審理を受ける権利を保障している。陪審制の母国である英国においては、様々な理由から陪審制が衰退しているのに対し、合衆国では、多くの法曹人口に支えられ、現在でも広く活用されている。 この陪審制は、当事者主義、直接・口頭主義、集中審理等の裁判手続に重大な影響を与えているが、法律専門家でない一般人が合理的な判断ができるように発達したものとして、民事事件と刑事事件に共通して適用される証拠についての詳細な規則が設けられているのも大きな特徴となっており、特に 伝聞法則が広く知られている。
ドレッド・スコット事件判決と南北戦争
連邦の権限の強化
アメリカ法における連邦最高裁判所の役割
合衆国の統治機構
合衆国の司法制度詳細は「アメリカ合衆国の司法制度」を参照