捜査局では、1917年の第一次世界大戦への参戦やロシア革命に呼応する国内の動きに対応して、同年、過激派捜査部(Radical Division)を設置して、秘密警察活動の組織化を図った。1917年のスパイ活動法による赤狩りの活発化のほか、防諜強化の要請から、1919年には一般情報部(General Intelligence Division)として体制を拡充した[22]。
1924年に一度解体されたが、ルーズベルト政権下で再建された[22]。また1930年代後半に入ると、欧州情勢の緊迫化に対応して防諜強化が図られることになり、体制整理の必要から、FBIが国内防諜の中枢機関として指定された[6]。これを受けて、1941年には国家防衛部(National Defense Division)、1943年には保安部(Security Division)として順次に体制強化が図られた。「ベノナ」も参照
1960年代には、フーヴァー長官のもと、部名は戦前の一般情報部に戻されるとともに、防諜(コインテルプロ)専任の国内情報部を設置した。しかしフーヴァーの死後、これらの公安警察の組織を用いた不適切な情報収集活動などが問題視され、対外防諜は新設された情報部(Intelligence Division)、国土安全保障は一般情報部が担当することとなった。「赤狩り」および「マッカーシズム」も参照
1993年10月、一般情報部に刑事部の国内テロリズム対策部を取り込んで、国家保安部(National Security Division)に改称された[22]。その後2005年に、FBIの体制改編とあわせて、関連部門を統合改編してNational Security Branch, NSBとして再編されている[23]。 2010年3月4日[24]、FBI長官ロバート・S・モラー 3世は、サンフランシスコで開かれたRSAサイバー・セキュリティ会議 (RSA Cyber Security Conference) に出席し、FBIに以下のサイバー対策部隊があることを明らかにした。 また、FBI長官は、この会議において、「現在のところ、テロリストは、インターネットを使って全面的なサイバー攻撃を行っていない。しかし、彼らは、多数のDoS攻撃を行っている」と語った[25]。
サイバー戦
国内支局のサイバー担当官 (Cyber squads) - 1000人以上の捜査官、分析官を有する。ルーマニア、エストニア、オランダなど欧州の警察機関にも捜査官を派遣している。
機動サイバー隊(Mobile Cyber Action Teams) - 世界中のサイバー脅威に対応できる高度に訓練された捜査官、分析官のグループ。
国家サイバー合同捜査本部 (National Cyber Investigative Joint Task Force) - FBI主体で創設され、17の警察・情報機関と協力している。
活動への批判
厳しい監視と激しい弾圧
フーヴァー時代のFBIは、アメリカ市民に対する監視をおこなっていた。特に1960年代から1970年代の反戦運動、公民権運動、フラワー・ムーブメントの時代には、厳しい監視と激しい弾圧を実施した。監視対象となった市民としては、ジョン・レノン[26]、ベトナム反戦運動グループ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを含む公民権運動団体、南部キリスト教指導者会議
Category:連邦捜査局を舞台とした作品 (10)も参照。
小説
羊たちの沈黙(1988)
映画
連邦警察(1959)
ダイ・ハード(1988)
羊たちの沈黙(1991。