連邦捜査局
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「長官」 (Director) 及び「副長官」 (Deputy Director) のもとに、下記の6つの部(branch)が設置されている。このうち、情報部、国家保安部、刑事・サイバー対策部、科学技術部は長官・副長官の直率下にあるが、情報技術部と人事部は「副長官補」(Associate Deputy Director)を介して指揮されている[7]

情報部 (Intelligence Branch) 

国家保安部 (National Security Branch) 

刑事・サイバー対策部 (Criminal, Cyber, Response, and Services Branch) 

科学技術部 (Science and Technology Branch) 

情報技術部 (Information and Technology Branch) 

人事部 (Human Resources Branch) 
それぞれの部は次官補(Executive Assistant Director)によって指揮されている[7]
地方支分部局
56ヶ所の地方局(field office)が配されており、それぞれが局長(Special Agent in Charge)によって指揮されている[8]
指揮系統
捜査局長 (Chief of BOI) (1908-1935)


スタンレー・フィンチ (Stanley Finch
) : 1908年 - 1912年

アレキサンダー・ブルース・ビエラスキ(1912年 - 1919年

局長代行: ウィリアム・E・アレン(1919年)


ウィリアム・J・フリン(1919年 - 1921年

ウィリアム・J・バーンズ(1921年 - 1924年

ジョン・エドガー・フーヴァー(1924年 - 1935年

連邦捜査局長官(Director of FBI) (1936-現在)


ジョン・エドガー・フーヴァー1936年 - 1972年

長官代行:クライド・トルソン (1972年5月2日 - 3日)

長官代行:L・パトリック・グレイ3世(1972年 - 1973年

長官代行:ウィリアム・D・ラッケルズハウス(1973年)


クラレンス・M・ケリー(1973年 - 1978年

長官代行:ジェームス・B・アダムス(1978年)


ウィリアム・ウェブスター(1978年 - 1987年

長官代行:ジョン・オット?(1987年)


ウィリアム・セッションズ(1987年 - 1993年

長官代行:フロイド・I・クラーク(1993年)


ルイス・J・フリー(1993年 - 2001年

長官代行:トーマス・J・ピカード(2001年)


ロバート・S・モラー 3世(2001年 - 2013年

ジェームズ・コミー(2013年 - 2017年

長官代行:アンドリュー・G・マッケイブ(2017年)


クリストファー・レイ(2017年-現在)

FBIアカデミー詳細は「FBIアカデミー」を参照

FBIアカデミー(FBI Academy)は、米国バージニア州クアンティコ(英語版)に位置するFBI所管の法執行機関研修施設(Law enforcement training facilities)[9]。1935年にPolice Training Schoolとして設立され(これは現在のNational Academy(英語版)プログラムである)[10]、現在の組織はそれを拡張的に改組して1972年に設立された[10]

一般公開はされていない。政府系教育施設の中では小規模なものであり、3つの寄宿舎と、関連施設が存在する[11]。施設では年に4回の入所者を受入れ、10週間かけて250名を訓練する。訓練中は給与が支払われる[9]。敷地面積は385エーカー(1.6平方km)[11]であり、クアンティコ海兵隊基地(英語版)の敷地の一部を借用して運営されている[12]
FBI市民アカデミー

FBI市民アカデミーは、当局のコミュニティアウトリーチの一環として約2ヶ月間、ビジネス、宗教、市民、地域社会、NGOなどのリーダー達を対象に、FBIの内情視察を提供するプログラム。全米各地方局にて実施。目的は、率直な議論と教育を通じて、コミュニティにおける連邦法執行機関の役割についての理解を深めること。

全米各地の卒業者は、該当地域の「FBI市民アカデミー協会」(Alumni Association)へ加入が可能。全米各地には、約42,000人の卒業者会員が約60支部に加入。全米FBI市民アカデミー協会の本部は、フロリダ州セントピーターズバーグ市
人員・装備現場本部車。ワシントン支局の保有している物
捜査官

FBIの職員は、日本法における司法警察職員にあたる特別捜査官(Special agent)と技官などの一般職員にわけられる[13]

他の組織の警察官と比較したとき、FBI特別捜査官を大きく特徴づけるのが高い学歴である。これはフーヴァーによる綱紀粛正の際に、捜査官の質的向上を図って導入されたもので、当時は弁護士または公認会計士になる資格を有することが求められていた[13]。その後条件が緩和され、弁護士・公認会計士でなくとも、法務博士などの上級学位を有するか、それに相当する能力を有していればよいことになった[14]。ただしその後も、特別捜査官の大部分は法律家が占めており、FBIの採用試験は、大半の州の弁護士試験よりも難しいと言われている[13]

このように、FBI特別捜査官は原則として弁護士に相当する能力を有していることから、建前上は、すべての捜査官は平等とされており、一般的な法執行機関や軍隊のような階級制度は存在しない。管理官(Supervisory Special Agent)や支局長(Special Agent in Charge)などの管理職についても、建前上は、組織管理を専門とする職種の一つとして位置づけられている[13]。新任の特別捜査官で本部勤務の場合、年次基本給は43,441ドルである[15]

なお、FBIの特別捜査官はGメンと通称される。これは1933年9月、FBIとメンフィス市警察がギャングのマシンガン・ケリーを包囲した際、銃を向けられたケリーが「撃つなっ、Gメン! 撃つなっ!」と叫んだとされることに由来しており、Government man(政府職員)の略語である[6]
ハンドガン 1970年代まで使用されていたS&W M13。別名“FBIスペシャル”現用機種のグロック22

捜査局創設直後には一律に武装を許可する法的根拠がなく、捜査官たちは毎回所轄の保安官警察署長に申請する必要があった。この時期には.35S&W弾仕様のM1913自動拳銃.45ACP弾仕様のM1911A1自動拳銃、.38スペシャル弾仕様の回転式拳銃S&W M10(ミリタリー&ポリス)が用いられていたほか、個人所有品の使用も多かった[16]

その後、1934年には捜査官の武装が公式に認可された。.38スーパー弾仕様のM1911A1自動拳銃や.357マグナム弾仕様のNフレーム回転式拳銃、.38スペシャル弾仕様のS&W製各種回転式拳銃が調達・配備された。コルト・ポケットポジティブコルト・ディテクティブスペシャル、S&W ボディーガード、S&W M36(チーフスペシャル)などが用いられたが、特にS&W M19(コンバットマグナム)の4インチ銃身モデルは、SWAT要員を中心として好評を博した[16]

しかし、同銃を含めて、NフレームやKフレームの.357マグナム弾仕様の回転式拳銃は日常的な携行には大きすぎた一方、スナブノーズのJフレーム拳銃では十分な威力を発揮できなかったことから、1970年代中盤から再度の見直しが着手された。まず2.5インチ銃身のS&W M10が試験的に制式採用されたが、エジェクターロッドや照準線の短さが嫌われて、多くの捜査官が改造を加えて携行した。続いて、同モデルをベースに.357マグナム弾に対応したM13が採用された。これは極めて好評であり、広く普及したが、FBIが採用した最後の回転式拳銃となった[16]


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