2005年7月には、国民党主席を退き、新設の名誉職ポストである国民党名誉主席に就任した。その後も中国首脳部から厚遇され、2006年4月と2008年8月(北京オリンピック開幕式に出席)、同年12月にも訪中し、胡錦濤ともたびたび会談していた。2008年11月のAPECリマ会議に過去最高位の台湾代表として参加した際にも、胡錦涛との間で初のAPEC中台代表者会談を行った。2008年12月の訪中では祖父・連横の記念館開館式に出席している。2010年の上海万博開幕式にも出席し、2015年の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典にも出席した。 1980年代の交通部長時代に日本を初訪問。2001年12月に国民党主席として戦後初の訪日を果たした(自身2度目)。その後、自身が総統に就任した暁に日本を訪問する構想も披露していたが、総統選に敗れて実現しなかった。 なお、総統選初出馬を控えた1999年9月に、連戦を紹介する『連戦―台湾ニューリーダーの知られざる素顔』が出版されている。 2010年11月、馬英九総統の特使として来日し、APECに出席した。 劉暁波へのノーベル平和賞授賞を巡り、猛反発する中華人民共和国は独自に「孔子平和賞」を設立し、2010年12月9日に初めての賞を連戦に授与することが判明した。この賞の事務局である中国郷土文化保護協会は公式な政府の組織ではないが、文化賞などを所管する中華人民共和国文化部と密接に協力していると言われた[2]。連戦は事前に受賞を知らされず、また受賞を拒絶したため、無関係の少女が授賞式に代わりにトロフィーを受け取った[3]。詳細は「孔子平和賞」を参照 妻の連方?は、台湾の第3回「ミス・チャイナ」コンテストで優勝した経歴の持ち主。2男2女。長男連勝文は、2005年の中国国民党党大会において中央常務委員に選出されている。
日本との関係
孔子平和賞
家族
脚注[脚注の使い方]^ ⇒“連戰再倡兩岸實行邦聯制”. BBC. (2001年1月4日). ⇒http://news.bbc.co.uk/chinese/trad/hi/newsid_1100000/newsid_1100900/1100919.stm 2018年3月11日閲覧。
^ “中国、孔子平和賞設立か…ノーベル賞に対抗?”
^ “ノーベル平和賞に対抗 “茶番劇”孔子平和賞に失笑 本家同様、受賞者不在”
先代
?柏村行政院長
第14代
1993年2月27日 - 1997年8月31日次代
蕭万長
先代
李元簇副総統
第7代
1996年5月20日 - 2000年5月20日次代
呂秀蓮
中国国民党
先代
李登輝党主席
第8代
2000年3月24日 - 2005年8月29日次代
馬英九
孫文(総理) 1919-1925 / 張静江 1926 / ?介石 1926-1927 / 胡漢民 1935-1936 / ?介石(総裁) 1938-1975 / ?経国 1975-1988 / 李登輝 1988-2000 / 連戦 2000-2005 / 馬英九 2005-2007 / 呉伯雄 2007-2009 / 馬英九 2009-2014 / 朱立倫 2015-2016 / 洪秀柱 2016-2017 / 呉敦義 2017-2020 / 江啓臣 2020-2021 / 朱立倫 2021-現職
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