連想ゲーム
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^ 問題は前半戦では本放送時の15問から25問に、3ヒントコーナーが2問から4問に、ワンワンコーナーが5問から10問にそれぞれ増やして行われた。「1分ゲーム」(出題は本放送時の最末期と同様に13問で、白組が「白」・紅組が「赤」から始まる単語)で1問正解出た場合は、両チーム共に茶色の「どーもくん」のぬいぐるみが置かれる。この復刻版の結果は白組367点・紅組307点で、白組チームの勝利だった。
^ 放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。字幕放送あり。ただし、月2本のペースでの放送だったため、特番などで放送されない週があった。全20回の放送で初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989 - 1990年収録分からの再放送だった。
^ 相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形であった点である。
^ これは緑黄色野菜根菜に分かれてのもので、司会の「ホウレンソウアナウンサー」の声は本家でも司会をした徳田が務めた。2010年7月 - 9月のレギュラー放送でもこのコーナーが放送された。ピンポン音は本家のものよりも音程が低めである他、得点版は電光表示板ではなく、デジタル(セグメントディスプレイ)表示である(ミニチュアサイズで撮影する関係上、本家にあった得点版周りの数字のランプといったものはなかった)。
^ 復活アレンジ版のヒントはリスナーからの投稿で、放送中にTwitterのサーバーが一時パンク状態となった。
^ 新潟県では、当該時間帯に「解体!新潟女子新書」を放送するため休止。周辺各県のNHKラジオ第1の周波数またはNHKワールド・ラジオ日本の周波数を合わせるか、らじる★らじるradikoを介していれば聴取可能。
^ 1986年放送分で残存する内、3月12日放送分については、全国にあるNHKアーカイブス公開ライブラリーにて観ることができる。
^ このうち、1986年12月3日放送分については元々NHKには残っておらず、2009年10月に新潟県在住の視聴者が録画したテープから発掘され、その視聴者より寄付されたものである[6]
^ ただし、1978年以降にも代行として司会をした放送回がある。
^ 1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」という言い方だったのが、当時のNHKアナウンサーとしては珍しかった。さらに後任の吉川精一アナも、就任直後のごく僅かの間であったが、松平アナに肖って、「よーい、ダンッ!」と合図をしていた。
^ その日のゲストガッツ石松への出題。
^ もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった。
^ 但し、レギュラー固定当初の1年間は、正規のレギュラー出演者がスケジュール都合で収録欠席が多かったため、予備として下記レギュラーに加え、紅組は内海好江、ロミ・山田、松坂慶子左時枝ちあきなおみ土田早苗、白組は馬場のぼる平尾昌晃渡辺篤史、三笑亭夢八(のちの三笑亭夢丸)をピンチヒッター要員として起用した。
^ スケジュールの都合で不在時は天地総子、宮城まり子が代理キャプテンを担当。
^ 1977年1月22日 - 3月26日放送分はスケジュールにより一時休演。その期間は当時1枠解答者のロミ・山田が代理キャプテンを担当。
^ 当番組の紅組キャプテンとしては最長期間(約9年)務めた。
^ 加藤自身が出演の養命酒山一證券のCMでも、この番組を連想させるようなストーリーで制作したのもあった。
^ 『みんなの招待席』内包時代の休演時には小沢昭一、一龍斎貞鳳が代理キャプテンを担当した。
^ スケジュールの都合で不在時、三遊亭小圓遊が代理キャプテンを担当。
^ 1978年7月19日 - 8月2日放送分・9月6日 - 11月22日放送分、1979年9月12日 - 12月5日放送分は、加藤の体調不良により一時休演。その期間は、当時1枠解答者の三橋達也(1978年の休演時)・渡辺文雄(1979年の休演時)が代理キャプテンを担当。
^ スケジュールの都合で不在時は内海好江が代行。
^ レギュラー起用前はうつみ宮土理・和田アキ子の代行で出演。なお、1977年1月22日 - 3月26日放送分はキャプテン代理を担当(その間、坪内ミキ子が1枠解答者として毎週出演)。
^ 不在時はちあきなおみ、ロミ・山田、松坂慶子が週替りで代行。
^ 最終回(1991年3月20日)は元1枠レギュラー・坪内ミキ子が出演。
^ 不在時は松坂慶子・土田早苗が代行。
^ 当番組の紅組レギュラー解答者としては最長期間(約15年)務めた。
^ 1985年1月 - 3月は一時休演。その間は和田アキ子・土田早苗・浅茅陽子中原理恵由紀さおり萬田久子が週替りで代行
^ 不在時は左時枝が代行。
^ 最終回は元3枠レギュラー・檀ふみが出演。
^ 1974年4月20日 - 8月10日放送分は一時休演。その間は主に木原光知子が代行。
^ レギュラー起用は1974年11月16日放送分から。
^ レギュラー当初の1978年4月 - 1979年3月の1年間、白組の5枠レギュラー・大和田獏と直接対決した。この番組の共演を機に、1983年大和田と結婚産休により降板。
^ 結婚による芸能活動休業を表明し降板。
^ 石原伸晃の現妻。石原と結婚後の1989年、石原の衆議院選挙立候補等により降板。
^ 不在時は馬場のぼるが代行。
^ 1978年7月19日 - 8月2日・9月6日 - 11月22日放送は代理キャプテンを担当。その間は宝田明平田昭彦倉石功山城新伍船村徹が週替りで代行。
^ 1979年9月12日 - 12月6日放送は代理キャプテンを担当。その間は馬場のぼる、月の家円鏡(のちの橘家圓蔵)、赤塚不二夫が週替りで代行。ほか不在時は主に元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
^ 2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』で、ゲスト出演の際この番組が再現された時は、白組キャプテンを担当した(なお、紅組キャプテンは麻丘めぐみが担当)。
^ 不在時は杉良太郎(3枠から一時移動)、平尾昌晃、渡辺篤史が週替りで代行。
^ 最終回は元1枠レギュラー・渡辺文雄が出演。
^ 不在時は渡辺篤史平尾昌晃三笑亭夢八が週替りで代行。
^ ただし、1973年1月 - 3月はスケジュールの都合で、1月20日・3月24日放送の合計2回のみ出演。その間不在時は渡辺・平尾が週替りで代行。
^ 当番組の白組レギュラー解答者としては最長期間(5枠時代を含め約12年)務めた。
^ 加藤キャプテンからは「バクちゃん」と呼ばれていた。
^ ただし、最終回(1991年3月20日)は休演、元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
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