連合国の失われた大義
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南北戦争の失われた大義という見解は、マーガレット・ミッチェルによる1936年の小説『風と共に去りぬ』や同名の1939年の映画にも影響を与えた[13]。この中で南部人は高潔な英雄的人物であり、ロマンチックで保守的な社会に住んでいると描かれ、止めることのできない破壊的な力に悲劇的に屈服したとされている。失われた大義の概念を使ったもう一つの顕著な例は、トマス・F・ディクソン・ジュニアの1905年の著作『クランズマン』であり、後にD・W・グリフィスが翻案して1915年の成功した映画『國民の創生』になった[14]。この本でも映画でも、クー・クラックス・クランが南部の高潔な伝統を継続させるものとして描かれ、南軍兵士は全体で南部の文化を守り、南部の女性は特にレコンストラクション時代に解放奴隷ヤンキーカーペットバッガーの意のままの略奪行為や搾取行為といわれるものに対抗しているように描かれた。より最近の例ではジェフリー・シャーラの小説の2003年の映画化『神と将軍』にも現れた。

ウィリアム・フォークナーのサートリス一家についての小説では、失われた大義という概念を支えた者に敬意を払っており、この概念自体は誤った方向に導かれ時代遅れとなったことを示唆した[15]
20世紀での使われ方南軍旗の20世紀版ミシシッピ州旗、2001-2020年ジョージア州旗、1956年-2001年アーカンソー州旗アラバマ州旗フロリダ州旗

失われた大義の基本概念は現代の南部で多くの者に依然として保持されていることが分かってきた。失われた大義の見解は、南軍旗や様々な州旗を堂々と掲げることに関する議論で度々取り上げられた。歴史家ジョン・コスキは「南軍古参兵の息子達の会」が「最も目に見えて活動的で効果的な軍旗の守り人」であり、「20世紀への変わり目に作られた失われた大義の歴史的解釈と理論的根拠を事実上変えずに、21世紀まで繋いだ」と述べた[16]。コスキは「20世紀後半の軍旗戦争」について次のように記した。1950年代初期から、「南軍古参兵の息子達の会」役員は軍旗の風化に対して、またそれを掲示することが非愛国的でありあるいは人種差別的であると主張する者達に対してその一体性を守った。「南軍古参兵の息子達の会」報道官は、南部が独立のための合法的な戦争を戦ったのであり、奴隷制を守るための戦争ではなかったこと、および優勢な「ヤンキー」の歴史観は南部を誤って中傷しており、軍旗に関する解釈で大衆を誤った方向に導いているという一貫した議論を改めて表明した。[17]

アメリカ連合国は1861年から1865年まで存在した間に幾つかの国旗を使った。南北戦争が終わって以来、南軍旗またそれから派生した旗はかなりの議論の下に個人的におよび公式に使われ続けた。2020年まで使用されたミシシッピ州旗は南軍旗のデザインを最後まで強く引き摺った旗であり、アーカンソー州アラバマ州ジョージア州およびフロリダ州の州旗は南軍旗の要素を幾らか残しているとされている。失われた大義の信念は20世紀後半の新南部運動、特に雑誌「サザン・パルティザン」で奨励されている。

現代の歴史家は、脱退が奴隷所有者によって動機付けられたのではないという議論に対してほとんど同調していない。歴史家のケネス・M・スタンプは、両軍共に都合の良いときにのみ州の権限あるいは連邦政府の権限を支持したと主張した[18]。スタンプはまた、アメリカ連合国副大統領アレクサンダー・スティーブンズの『先の州間の戦争に関する憲法解釈』を、戦争が始まったときは奴隷制が「南部の礎石」であると言い、南部が敗北した後は戦争が奴隷制ではなく州の権限のためだったと言った南部指導者の例として引用した。スタンプに拠れば、スティーブンズは「失われた大義」の最も熱心な守護者の1人になった[19]

同様に、歴史家ウィリアム・C・デイビスは、南部の憲法が国民レベルで奴隷制を擁護していたことを次のように説明した。古い合衆国に対して、連邦政府の権限はある州内での奴隷制問題に干渉する権限まで及ばないと彼等は主張してきた。彼等の新しい国に対して、州は連邦による奴隷制保護に干渉する権限を持っていないと宣言するところだった。州の権限ではなく奴隷制がその運動の中心にあったという事実に対する多くの証拠全ての中で、これがとりわけ雄弁なものだった。[20]

デイビスはさらに、「戦争の原因と効果は、過去と現在の政治と社会の課題に合うように操作され神話化されてきた」とも述べた[21]。歴史家デイビッド・ブライトは、「手段と目的の双方に白人至上主義を使うこと」が失われた大義の重要な性格になってきたと言っている[22]。歴史家アラン・ノーランは次のように記している。失われた大義が歴史に残したものは真実の戯画である。この戯画は物事の事実を全体に誤って表すか曲解させている。確かに今は、過去の決定的な要素に関する理解を再度始め、失われた大義の歪曲、欺瞞およびロマン的神話感によって曲げられていない歴史の前提から始めるときである。[23]

現在ジェイムズ・ロナルド・ケネディやその双子の兄弟ウォルター・ドナルド・ケネディ(南部同盟(League of the South)の設立者、『南部は正しい』や『ジェファーソン・デイビスは正しい』の著者)のような失われた大義の歴史作家がおり、南部の民族自決主義の側に立って奴隷制を軽視している。ケネディ達は戦争中に北部が行った「テロリストの手段」と「凶悪な犯罪」を表現し、「文化虐殺に関するヤンキーの動き」と題する章では、アメリカ合衆国政府自体の公式記録から、主要な動因は南部国民を罰し根絶する権限にある者達の望みであり、多くの場合には南部人民の根絶だったことを示すと述べている[24]

この本の主題が現代の南部人にとって何故重要かという議論で、ケネディ達はその作品の結論部で次の様に書いている。南部人民は、強制バス通学、差別是正措置、贅沢な福祉費、南部のみに懲罰的な選挙権法、北部革新派が南部保守派の最高裁判所入所を拒否すること、および南部を経済的に二流の状態にする経済搾取を止めさせるために必要なあらゆる力を持っている。必要とされるのはより大きな力ではなく、手近な権限を使う意志である!その選択は今貴方達にある。挑戦を無視し、二流の市民に留まるか、仲間の南部人と団結して南部政治革命を始めるかである。

歴史家のデイビッド・ゴールドフィールドは『南部は正しい』のような本を次のように特徴付けている。「北部侵略の戦争は歴史的創造、形成および理解について合衆国を保存するためではなく征服と略奪で新しい合衆国を達成するために戦われた」と説明している。奴隷制廃止論者については、社会主義者、無神論者および「非難に値する扇動者」の集合だった。[25]

歴史家ウィリアム・C・デイビスは、戦争を取り巻く多くの神話を「取るに足りない」ものとし、この戦争を今日でも続く「南部の党派抗争」と改名する試みを挙げた。南北戦争は実際には内戦であるということを否定する試みの中で、「北部侵略の戦争」やアレクサンダー・スティーブンスが作った「州間の戦争」という表現を含む名前を好んだ。
脚注^ Duggan, Paul (November 28, 2018). "The Confederacy Was Built on Slavery. How Can So Many Southern Whites Think Otherwise?" The Washington Post. Retrieved March 2, 2020
^ "The Black and the Gray: An Interview with Tony Horwitz" (1998). Southern Cultures, vol. 4, no. 1, p. 15.
^ Gallagher, Gary W., ed (2000). The Myth of the Lost Cause and Civil War History. Indiana UP. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-0253338228. https://books.google.com/books?id=5SJvUWYDBhUC&pg=PA28 
^ Gallagher (2000) p. 1
^ Ulbrich, p. 1221.
^ a b Gallagher, p. 12.
^ Gallagher and Nolan p. 43.
^ a b Ulbrich, p. 1222.
^ Gallagher and Nolan p. 16. Nolan writes,「党派闘争の中でアフリカ系アメリカ人の中心的役割があるとして、南部の合理化がこれら人々の人格形成まで及んだとして何も驚くべきことではない。


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