通字
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王・帝や領主などが、死後に贈られる名がである。

姓 諡諱・実名国・地域
諸葛 忠武侯亮中国
王 文公安石中国
李 忠武公舜臣朝鮮半島
河 文孝公演朝鮮半島
徳川 義公光圀日本
伊達 貞山公政宗日本

官名

官職についている(いた)人物をその官名で呼ぶこともあった。日本でも同様の慣習があったが、朝廷が授けた官名そのままではなく唐名を呼び名とすることも多かった。

姓 官名(唐)官名(和)諱・実名国・地域
? 中散-康中国
杜 工部-甫中国
李 相国宰相奎報朝鮮半島
-伴 大納言善男日本
平 相国太政大臣清盛日本
徳川 内府内大臣家康日本

また中国でいう刺史のような地方長官の場合、治める土地の名で呼ばれることもあった。

姓 地名官位諱・実名国・地域
劉 豫州豫州刺史備中国
柳 柳州柳州刺史宗元中国
勝 安房従五位下安房守義邦 → 安芳日本
小堀 遠州従五位下遠江守政一日本

ただし中世以降の日本の場合、任官されていない百官名受領名を好き勝手に自称する武士もいるため、その呼び名が実際の官職であるか単なる自称であるかは検討を要する。例えば織田信長は朝廷から右大臣に任ぜられているため、織田「右府」(右大臣の唐名)という呼び名は実際の官名に沿ったものである。しかし一般に知られる織田「上総介」は、いわゆる百官名であり全くの自称である。

左衛門右衛門兵衛といった官名は頻繁に使われたため、元は官名であったことすら忘れ去られ、兵農分離以降も平民の名前として一般的に使われた。
排行

排行または輩行名は、もともとは中華圏における呼び名の一種で、兄弟の長幼の順序を示す番号を名前代わりにしたものである。

姓 排行諱・実名国・地域
朱 重八元璋中国
白 二十二居易中国
金 九昌洙朝鮮半島
那須 与一宗隆日本
天草 四郎時貞日本

本籍

本籍(出身地)の地名を用いる例。

姓 本籍諱・実名国・地域
孟 襄陽浩然中国
康 南海有為中国


系字(通字)

中国や朝鮮半島では、祖先の諱を避ける代わりに同一血統で同世代の者が諱の中で特定の字を共有する習慣があり、系字もしくは通字という(輩行字)。同世代の間で共通の字を用いることから、特に列系字と呼ばれることもある。

南北朝時代以降の中国では、諱に漢字二文字を用いることが広まるが、そのうちの一字について、兄弟・従兄弟など、同族同世代の男子が世代間の序列を表すため同じ文字を名に共有する。これにより一族の中の世代間における長幼の序を確認し合うことができる。一字名の場合は、同部首の漢字を用いることで系字とする(蘇軾蘇轍など)。また、世代間で規則に従った系字を順に配することもあり、この場合は行列字ともいわれる(ある世代が「水」系字の場合、五行説によって次の世代に「木」系字を用いるなど)。

なお、現代の北朝鮮では国家指導者の名に、金日成、子の金正日、孫の金正恩と、むしろ日本式に近い通字の使用が見られる。朝鮮の伝統に反するこうした命名についての理由は、識者から種々の憶測がなされているものの明らかではない。

この習慣は、日本でも平安時代初期に一時行われたが、のちには一族の中で、多世代にわたって同じ字を諱のうちの一字として用いる通字がむしろ広く行われ、列系字に対して行系字と呼ばれる(後述)。
日本
日本における諱の歴史

日本での個人の名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」など長い訓に漢字を当ててきた。しかし、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子の名前は漢字二文字か一字、女子の名前は「○子」とするといった、漢風の名前の使用が進められ、定着した[要出典]。

このように、中国の伝統を取り入れた名前の習慣が定着すると、実名・本名のことを漢文表記するときは、中国同様に「諱(いみな)」と呼んだ。

これは中国と同じく実名と霊的人格が結びついているという宗教的思想に基づく。そのため、平安時代には武士などが主従および師弟関係を取り結ぶときに、主君・師匠に自分の名を書いた名簿(みょうぶ)を提出するしきたりがあった。また、親子関係、夫婦関係以外の社会的主従関係に乏しかった女性では名の秘匿がより進み、公的に活躍した人物ですら、後世実名が不明となる場合が多かった。清少納言紫式部菅原孝標女の実名が不明なのはこのためである(少納言式部は、父親等の官職名から付けられた女房としての職務上の呼称である。また、孝標女は父・菅原孝標の名がそのままつけられている)。

また、平安時代以降の貴人は居住する邸宅の所在地名や官職名などに基づく通称で呼ばれ、武士をはじめ身分のさらに低い者も太郎・次郎などの兄弟の出生順序などからつけられた、仮名(けみょう)と呼ばれる通称が用いられた。仮名については、室町時代以降、官職風の人名として百官名、さらに東百官のようなものまで派生し、諱と別につけられた通称をもって人名とすることが明治時代まで行われていた。

時代劇で例示すると、『遠山の金さん』の主人公である遠山景元(実在した旗本)の場合、諱は「景元」であるが、劇中においてこの名で呼ばれることはない。諸大夫に叙され左衛門少尉を名乗っていたことから「左衛門尉さま」、あるいは仮名である「金四郎」(さらにここから派生した金さん)の名で呼ばれる。だが戦国時代には官職名ではなくあえて諱で呼び、さらには敬称をつけず呼び捨てとすることが最上級の敬意を表す事例もあるため、日本の歴史上において諱で呼ぶ行為が常に礼儀を欠くわけではない[10]。また、本能寺の変を記した本城惣右衛門覚書には、「のぶながさま」「いへやすさま(別の箇所では「いゑやすさま」とも)」と記載があり、諱の使用される例が皆無ということもない(一方、同書では自軍である明智勢の明智秀満を通称の「弥平次」、斎藤利三を「くら介」「さいとう蔵介」と官職名になっている)。

明治に至り、1870年(明治3年)12月22日太政官布告「在官之輩名称之儀是迄苗字官相署シ来候処自今官苗字実名相署シ可申事」、1871年(明治4年)10月12日の太政官布告「自今位記官記ヲ始メ一切公用ノ文書ニ姓尸ヲ除キ苗字実名ノミ相用候事」、1872年(明治5年)5月7日の太政官布告「従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルヘキ事」により、諱と通称を併称することが公式に廃止されている。すべての国民戸籍に「氏」及び「名」を登録することとなり、それまで複数の名(諱および通称ならびに号など)を持っていた者は、それぞれ自身が選択したものを「名」として戸籍登録することとし、登録時に婚姻養子縁組を伴わない者の改名は禁止された。当時の明治政府高官の例では、伊藤春輔博文は諱の「博文」を、山本権兵衛盛武は通称の「権兵衛」をそれぞれ登録している。
日本における通字「輩行字」も参照

日本では「ある人物の諱に用いられているものと同一の漢字を用いることそのものがその人物の霊的人格に対する侵害だ」とする観念が、中国や朝鮮ほど強くはなかった。

そのため、漢字二字からなる名が一般的となった平安時代中期以後の日本では、家に代々継承され、先祖代々にわたり特定の文字を諱に入れる「通字(とおりじ)」あるいは「系字」という習慣があった。これにより、その家の正統な後継者、または一族の一員であることを明示する意図があった。
代表的な例
皇族・公家

皇族(天皇家) - 男子が「仁」、女子が「子」。通字として定着するのは室町時代以降であった。嫁入りの場合も「子」の名がある女性が選ばれる。

伏見宮家 - 「貞」と「邦」とを1代ごとに交互に用いる。ただし、当初華頂宮家を継承していた伏見宮博恭王以降は「博」を用いた。

久邇宮家 - 朝彦親王以来原則として「彦」を用いる。これは朝彦親王の王子の東久邇宮稔彦王朝香宮鳩彦王朝香宮にも継承されている。また、久邇宮本家は「邦」と「朝」を交互に用いている。その他にも朝彦親王の子には「多」の字を用いてる(多田王、多嘉王)

北白川宮家 - 「久」を用いる。

賀陽宮家 - 「憲」を用いる。


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