近鉄あやめ池遊園地
[Wikipedia|▼Menu]
1940年(昭和15年)9月28日-11月15日 - 紀元2600年と日本の航空開始30周年を記念し、近畿日本鉄道の遊園地としては初めての大規模な博覧会となる大日本飛行協会・朝日新聞社主催「航空日本大展観」を入場無料で生駒山上遊園地と同時開催[3][4]。会場正面の荒鷲の門上部には93式軽爆撃機が使われ、あやめ池上池中央の橋は改装されて模型の軍艦がつくられた[3]。これ以降朝日新聞社主催「第1回日本ステート・フェア」が開催されるまでの約10年間催物は全面休止となる[4]

戦時中 - あやめ池遊園地はあやめ池科学広苑、あやめ池温泉場は健民厚生場となり、あやめ池科学広苑に近代兵器科学館が開館[3]

1943年(昭和18年)6月25日 - 飛行塔、ワンダー・ホイールを撤去・供出[1][4][5]

1945年(昭和20年)11月2日 - あやめ池温泉場が進駐軍に接収される[1]

1948年(昭和23年)9月28日 - あやめ池温泉場の進駐軍による接収が解除される[1][4][5]

1949年(昭和24年)4月1日-5月31日 - 朝日新聞社主催「第1回日本ステート・フェア」を開催[4][5]。農業科学館、水産館、農業機械展示場などが設置され、飛行塔、ワンダー・ホイールが復活[3]

1950年(昭和25年)3月21日 - 大阪松竹歌劇団によるあやめ池公演開始[1]

1953年(昭和28年)8月21日 - あやめ池温泉場の経営が近畿日本観光ホテルに委託される[4][5]

1954年(昭和29年)3月21日-5月31日 - 第2回日本ステート・フェアを開催[4][5]

1954年(昭和29年)3月21日 - 第2回日本ステート・フェア開催を機に全長225mの空中観光ロープウェイの営業開始[3][4][5]

1954年(昭和29年)- 第2回日本ステート・フェア開催を機にあやめ池温泉場に自然博物館を開設[3][4]

1954年(昭和29年)- 大菊人形展「菊花パラダイス」を開催[1][3]。その後も秋の風物詩として1987年まで続けられる[1][3]

1955年(昭和30年)- あやめ館の経営が近畿日本観光ホテルに委託される[4]

1956年(昭和31年)3月21日 - 鉄筋コンクリート製2階建て2,970m2で3,000人を収容できる円型ドーム型大劇場「あやめ池円型大劇場」が開場[1][4]

1957年(昭和32年)4月 - あやめ池温泉場が休止[1]

1957年(昭和32年)7月 - 自然博物館を大劇場で公演する大阪松竹歌劇団に音楽学校校舎として賃貸[4]

1958年(昭和33年)2月1日 - 当遊園地の運営を行うあやめ池遊園地株式会社が設立[1][4][5]

1958年(昭和33年)3月20日-6月5日 - 近畿日本鉄道・産経新聞社共催「平和のための防衛博覧会」を開催[4]

1958年(昭和33年)4月1日 - あやめ池温泉場の建物にて日本歌劇学校が開校。

1960年(昭和35年)3月19日 - 水上ログコースター「ロッキー」(全長1.44km)を新設[4]。また、遊園地内を一周する「こどもの汽車」の増備と路線延長が竣工[4][5]

1961年(昭和36年)5月7日 - 力道山率いる日本プロレスがプロレスリング興行を開催し、36,000人の観衆(主催者発表)を集める[6]

1962年(昭和37年)7月1日 - レクリエーションプールがオープン[5][7]

1963年(昭和38年)- 菖蒲池駅前広場を拡張、大駐車場を新設[5]

1967年(昭和42年)7月 - 管理運営会社の「あやめ池遊園地株式会社」が近鉄興業に吸収合併[5]

1968年(昭和43年)- 野外劇場サウンドスタジアムを開設[1][5]

1970年(昭和45年)4月8日 - あやめ池ボーリングセンターが開場[1][5]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:81 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef