近藤真彦
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近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してくれた人物が近藤だったことを知った[31]。この事故を伝える朝日新聞記事の見出しは、自身の歌のタイトル(ギンギラギンにさりげなく)を拝借した「人命救助さりげなく」であった。

2010年、NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』むけに「GOGO☆パンダ!」を作曲した[32]

「マッチ」の名付け親は松原秀樹。近藤は「僕が丸刈りで顔が小さくてひょろひょろだったから『マッチ棒』って呼ばれてたんです。『棒』がとれてよかったですよ」と当時を振り返った[33]

趣味は自転車ミニカー収集。また無類のメダカ好きでもある。

自称「日本一の雨男」。特に花火大会を観に行こうとするとなぜか雨天中止になることが多いという。2010年8月に神宮外苑花火大会に出演した際も上空に雲が立ち込め開催が危ぶまれたほど(ただし雨は降らず、大会は無事開催された)[34]。2010年10月のF1日本グランプリの解説を務めるため、鈴鹿サーキットに赴いたが、豪雨によってレースの予選が中止になる[35]というハプニングに遭遇した(この時『すぽると!』の取材で現場にいた国分太一を「雨男」と言ったが、すぐに自分のことを「雨男」と訂正して周囲の笑いを誘った)。

1994年おりも政夫田原俊彦が事務所を退所して以降、2021年4月30日に退所するまでジャニーズ最年長の地位を約27年にわたり維持していた。ジャニーズ事務所退所時点での年齢は56歳285日で、東山紀之が2023年7月13日に記録を更新するまで、ジャニーズ事務所所属のタレントの最高齢記録保持者でもあった。

ジャニーズの後輩達に関しては、「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉堂本光一と雑誌で語った。東山や光一はマッチの曲(「アンダルシアに憧れて」など)を踊り付きでカヴァーすることがよくある。

ジャニーズのタレントでは珍しく『NHK歌謡コンサート』や『NHKのど自慢』への出演経験がある。『NHKのど自慢』の出演は1997年4月13日石川県川北町の放送で出演した後、2010年11月21日の放送(開催地は愛媛県松山市)で13年ぶりに出演した。

坂上忍とは『ニッポン親不孝物語』で共演して、演技上で近藤がうっかり坂上に本気で平手打ちしてしまい、謝罪しない近藤に対して怒った坂上がそのまま帰った逸話がある[36]

黒柳徹子とはプライベートで月に1度は会い、10代の頃から徹子の部屋に出演し[37]、2017年11月23日まで17回出演している。

関口宏の東京フレンドパークII』のデリソバデラックスで一度も障害物に当たらずクリアしたことがある。

2018年1月6日に放送された『MUSIC FAIR』で「テレビ番組の司会がやりたい」との目標があることを明かした[38]。また、同番組内でこれまで近藤のものまねをする者が「マッチでーす」とよく言っていたが、近藤自身は1度も言ったことはなく、『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」で片岡鶴太郎が近藤のものまねをした際に言ったことから、そのインパクトの強さで広まったと真相を語っている。

2020年2月29日に朋友・野村義男がリリースしたアルバム「440Hz with〈LIFE OF JOY〉」の11曲目『ありがとう』にドラマーとして参加。同曲のコーラスには世良公則なども参加している。


2023年5月17日、長年悩んでいた頸椎症性脊髄症に対して社会医療法人財団仁医会牧田総合病院で手術を受けて退院した[39]

作品
シングル

レコード・CDレーベルは「永遠に秘密さ」までがRVC(後の
アリオラジャパン)で、「ヨイショッ!」からがCBS・ソニー(後のソニー・ミュージックレコーズ)[注 1]

#発売日タイトル最高順位備考
RVC(アリオラジャパン)
11980年12月12日スニーカーぶる?す1位1981年度年間3位
21981年3月12日ヨコハマ・チーク2位1981年度年間20位
31981年6月12日ブルージーンズ メモリー1位1981年度年間11位
41981年9月30日ギンギラギンにさりげなく1981年度年間21位

第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、第32回第66回NHK紅白歌合戦出場曲
51982年1月7日情熱☆熱風?せれなーで 1982年度年間9位
61982年3月31日ふられてBANZAI1982年度年間10位
71982年6月30日ハイティーン・ブギ1982年度年間7位
81982年9月30日ホレたぜ!乾杯1982年度年間26位

第33回NHK紅白歌合戦出場曲
91983年1月20日ミッドナイト・ステーション1983年度年間23位
101983年4月27日真夏の一秒1983年度年間29位
111983年7月15日ためいきロ・カ・ビ・リー1983年度年間34位

第34回NHK紅白歌合戦出場曲
121983年11月1日ロイヤル・ストレート・フラッシュ
131984年3月1日一番野郎1984年度年間33位
141984年6月6日ケジメなさい1984年度年間26位

第35回NHK紅白歌合戦出場曲
151984年9月13日永遠に秘密さ1984年度年間49位
CBS・ソニー(Sony Records)
161985年2月13日ヨイショッ!1位第36回NHK紅白歌合戦出場曲
171985年6月5日夢絆2位第11回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
181985年10月21日大将6位第16回日本歌謡大賞受賞
191986年2月26日純情物語6位
201986年7月4日青春7位第37回NHK紅白歌合戦出場曲
211986年9月10日Baby Rose6位織田哲郎の曲をカヴァー
221987年1月1日愚か者2位1987年度年間35位

第29回日本レコード大賞受賞第38回NHK紅白歌合戦出場曲
231987年6月11日さすらい4位第13回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
241987年9月18日泣いてみりゃいいじゃん1位第18回日本歌謡大賞受賞
251988年4月8日Made in Japan3位
261988年9月14日あぁ、グッと4位第39回NHK紅白歌合戦出場曲
271989年2月3日夕焼けの歌7位
281989年6月1日Just For You11位『ザ・ベストテン』で10位以内にランクインした最後の曲(1989年6月15日放送回:第8位)
291989年7月5日いいかげん11位
301989年11月10日アンダルシアに憧れて9位
311990年4月8日気ままにWALKIN'15位
321990年5月5日気ままにWALKIN'-One Step At A Time-35位


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