なお、この件について、ジャニーズ事務所では近藤の次の年長者であった東山紀之からは、「僕自身は、今回の退所の仕方に大きな疑問が残っている」、「コメントがすごく薄っぺらく感じる」と、近藤への苦言ともとれるコメントがあった[19]。尚、近藤はレーシングチームの監督業に復帰のインタビューで「(東山とは)話はしていない」と答えた[20][21]。 ドライバーとして1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(フレッシュマンレースとして異例の35,400人の観客を動員)[22]したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。 1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにポルシェ・962Cで初参戦を果たした。またこの年、全日本GT選手権(JGTC)のGT1クラスにも962Cでアンソニー・レイドとのコンビで参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。この勝利は962Cがビッグレースで記録した最後の勝利でもあった。1995年にもポルシェ・911を駆りGT1クラスで優勝し、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の入賞を獲得した。 以降も全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンなどの全日本格式の最高峰カテゴリーに参加し、入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、1995年ル・マンでは雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等が跋扈する同じGT1クラスに日産・GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。 2003年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。 ドライバー時代から日産とADVAN(横浜ゴム)と深い関わりを持っており、これは監督業に転向しても続いている。 1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し[23]、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing Team」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始し、2006年に日産勢としてSUPER GTのGT500クラスへの参戦も開始した。 2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシア・セパン)にて、KONDO Racing Teamとしての初優勝を飾った。2008年も第4戦(セパン)で優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士)でも8年目にして初優勝を達成した。 2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦(鈴鹿)で優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦。 また2012年からKONDOレーシングは、育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスにも参戦を開始。2016年にチャンピオンになった。 2015年SUPER GT第4戦(富士)では、5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年は、タイヤ無交換の奇襲を2度成功し、双方で勝利を挙げた他、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門でチャンピオンに輝き、2020年と2022年はSUPER GTのGT300でも年間チャンピオンを獲得(ドライバーは藤波清斗とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)するなど、いちアイドルを超えて他チームの監督やファンも認める一人前の監督に成長した。 2023年4月、中嶋悟の後任として、日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長に就任[3]。 なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、ジャニーズ事務所在籍中から近藤の顔写真が掲載されていた。 30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都のお台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。
レース活動
オーナー兼監督として2022年のSUPER GTに参戦している車両(日産・GT-R)詳細はKONDO Racing Teamを参照。
レース界での交友関係