しかし、その後もしばらく東映京都などで仁侠映画や時代劇の端役が続く[2]。長い下積みを経て[2]、1970年、大河ドラマ『樅ノ木は残った』の端役が決まり、NHKのプロデューサーに上京を勧められていた頃、『柔道一直線』の主人公(桜木健一)のライバル・結城真吾役が決まり、1971年、再び上京し出演したこのドラマで、一気に人気に火がつくことになる。
以後は『冬の雲』『春の嵐』『地の果てまで』と立て続けに出演し、人気を決定づける。1973年には司馬遼太郎原作の大河ドラマ『国盗り物語』で後半の中心人物・明智光秀役を演じる。また、2006年にも司馬の小説を原作とした『功名が辻』に、光秀の盟友となる細川幽斎役で出演。
映画でも『流れの譜』(1974年、監督:貞永方久)、新幹線の運転を妨害しようとする青年医師を演じた『動脈列島』(1975年、監督:増村保造)、『赤穂城断絶』(1978年)など。『神津恭介シリーズ』などドラマ・舞台で活躍。帝国劇場で上演の『ラ・カージュ・オ・フォール』では主人公のドラァグクイーン・ザザ役で妖艶な女装姿を見せた。 関西弁を話す愛嬌のある性格で、そのキャラクターから、バラエティ番組にも多く出演し、1985年 - 1987年には朝日放送制作(テレビ朝日系)『クイズなんでも一番館』の司会を務めたり、金鳥「キンチョウリキッド」のCMで、タヌキや河童の被り物をしたシリーズに長らく出演。また、1980年代には片岡鶴太郎や小堺一機が「こんどぉーです」と独特の抑揚を強調した近藤の物まねを持ちネタにしていたが、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に近藤がゲスト出演した際には小堺と一緒に嬉々としてやってみせたこともある。 中学時代からエルヴィス・プレスリーのファン。阪神ファンでもある。 ジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、アラン・ドロンなどのフランス映画のスター・名優を尊敬しており、特にギャバンのパンを食う芝居などは真似をしたり、作品ではジャック・ベッケル監督『現金に手を出すな』やルイ・マル監督『死刑台のエレベーター』が好き[6][7]。 趣味は、釣りや陶芸、山菜採り。40歳代、ドラマの撮影で郡上八幡(岐阜県郡上市八幡町)を訪れた際、橋の上から見た川の美しさに感動してこの地に魅せられ、以来何度も訪れるようになった[注 2]。そのような縁から、天野礼子・野田知佑らと共に自然保護運動にも参加したこともある。1年のうち4か月を郡上八幡で暮らしており[注 1]、2017年からは移り住んでいる。冬は薪ストーブのみで暖を取っている[注 1]。海や魚をこよなく愛し、スクーバダイビングの経験も豊富。熱帯魚の飼育やアマゾン川での釣りなどの経験もあり。共に暮らした妻は1歳年下で小中高の同窓生。2023年に死去した[9]。 アルコール飲料は本人曰く「全くダメ」。好きな食べ物はお茶漬け。嫌いな食べ物はチーズ。 大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎と懇意で、近藤が彼に贈った幟は、毎回の大道芸の際に立てられるのが恒例。 『仮面ライダー』の初期企画「十字仮面」では、毎日放送による企画書で主人公・本郷猛役に決定していた[10]。番組宣伝用のポートレートなども作成されたが、藤岡弘に変更された[10]。
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