近石真介
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ラジオパーソナリティとしては、1971年10月4日開始の『こんちワ近石真介です』で人気を博し、ギャラクシー賞を受賞[12]2020年、高齢を理由に『こんちワ近石真介です』時代から49年続いた『はがきでこんにちは』が同年9月25日放送回で終了するまで活動し、結果的にこれが最後の仕事となった[14][15]

演出劇場を経て[16]、1957年、劇団3の会の創立に参加[16][11]。1958年、劇団演技座入団[10]。1961年、劇団青演の創立に参加[11]。1962年12月から2002年まで劇団東演(旧 - 東京演劇ゼミナール[16])に在籍[12][10]

マネジメントは東京俳優生活協同組合[16][11]→ぱらーた企画[1]ムーブマン[7]

2022年10月5日午前8時、老衰により東京都内の自宅で死去[3][17]。91歳没。
人物

テレビ草創期から活躍。俳優としては舞台を中心に活動し[12]テレビドラマにも出演。

声種バリトン[18]

趣味・特技は落語釣り乗馬味噌作り[7]。特に落語に関しては、「ギョロ目亭しん助」の名で高座に上がる腕前であった[19]

兄が2人いる[要出典]。
エピソード
吹き替え

ジェリー・ルイスについては「本当に好きだったなあ」と述べている[2]。芝居のリズムが早いため、予め大体の台詞を覚えてから収録に臨んでいたといい[20]、収録後は疲れる一方で「ジェリー・ルイスのあのリズムを俺は盗めたぞ」という何ともいい快感があったという[2]

ジェームズ・キャグニーに関しては、自分の世界を常に強烈に打ち出すところが魅力的だと語っていた[2]

モンティ・パイソン』では開始当初にジョン・クリーズの吹き替えを担当していたが、すぐに納谷悟朗に交替。近石は、のちに納谷が演じることになる『ルパン三世』の銭形警部パイロット版で演じたこともある。
フグ田マスオ

『サザエさん』では、フグ田マスオ役を近石が当時38歳の1969年10月5日の初回から近石が47歳当時の1978年6月4日放送分まで演じていた。

近石はマスオについて「とても好きだった」と語り、演じ始めたころは、実生活でも父親で息子もタラちゃんと同じくらいの年齢だったため、本人によれば「役やってんだか何だか分からない、もうそのまんま」で演じたという[20]。降板も「(本当は)やりたかった」としつつ、収録の「生きた会話にするため全員が集まって行い、抜き録りはしない[21]」という方針から舞台公演やラジオとの両立が困難となったことによる、悩んでの降板であった[20][注釈 1]

初代波平役の永井一郎とは同い年で、生年月日が近く20代のころからの付き合いであったため、「戦友みたいなもんです」と語るなど、親交があった[注釈 2]。そのため、降板時には「なんで辞めるんだ?」と怒られたという[23]。また、近石からマスオ役を引き継いだ増岡弘とも親交があり、増岡が主催する手づくり味噌の会「みそひともんちゃく」にも参加していた。また近石と増岡がツーショットで撮られた写真が残されている[24]

また、『サザエさん』自体については「どんなに世の中が変わっても、日本の家族はこういう事柄をこんな会話をしながらこんなふうに処理する。五十年前のサザエさん一家も、今の家族も基本的には同じだと思う」と述べ、「原作に忠実にその精神を受け継いで、今のままずっと続いてほしい。日本の家族の姿を伝えてほしいですね」と語っている[21]
はじめてのおつかい

はじめてのおつかい』のナレーションは、前身番組である情報番組『追跡』の1コーナー(1988年4月から1994年3月まで放送)時代から一貫して担当[25]2021年から花江夏樹[26]林家たい平[27]に交代したが、以降も亡くなるまで冒頭のタイトルコールは続投していたほか、番組内の企画(「あれから○○年…」シリーズ)で過去の出演回が取り上げられた際は近石のナレーションが引き続き使用されているため、没後の2024年時点でも全放送回に出演している[13][28]

近石はオファーを受けた当初、「ナレーターはあまりしたことがないし活動の幅が広がる」と意気込んだが、初収録の際にプロデューサーから「あなたはナレーターとして起用したのではない」と言われたため大いに困惑したという。これには「子供はもちろん、その親、カメラマンなどスタッフら、時には視聴者側の心情に寄り添い台本は書かれている。つまり、ナレーターではなく一人何役も演じるように各登場人物・スタッフの一員として話してほしい」という真意があり、この思いを受けた近石はその姿勢で収録に臨んでいた[20][25]

2013年12月8日には、3日をかけて収録を行うなど苦労も明かしつつ「好きな番組だ」と述べていた。

近石は番組の良さについて「子供の活き活きとした顔が見られるところ。子供にバレないようにスタッフがどれだけ神経をつかっているか。子供の顔のアップにしても、いろんな表情があってね。それを捉えるスタッフは大変ですよ」と語っており、「涙腺がどんどん緩くなってる。のめり込んじゃう。20何年やってるけど、常に古くて新しいという感覚があります」と、思わず涙ぐみながら台本を読むこともあったという[20]
受賞歴

1965年芸術祭奨励賞『風浪』(山田唯雄役[29][12]

1984年京都十三夜会賞『歌え、悲しみの深き淵より』[29]

1986年広島市民劇場賞『歌え、悲しみの深き淵より』[29]

2013年第7回声優アワード「功労賞」[30]

出演


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