近石 真介(ちかいし しんすけ、1931年〈昭和6年〉1月20日[1][4][11][10] - 2022年〈令和4年〉10月5日[3])は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ、ナレーター[6]。ムーブマンに所属していた[7]。
長男は俳優・声優の土方優人。 東京府豊多摩郡(現:東京都杉並区西荻窪)出身[2]。日本大学第二高等学校卒業、早稲田大学第一文学部露文科[7]を2年で除籍。 大学中退後、ロシア語のタイプライターを打てたことや高校時代の恩師の計らいで、三井海上火災に就職[2]。職場の演劇部に当時気になっていた別の部署の女性社員が所属しており、「入れば知り合いになれる」と考え、入部する[2]。その後、その女性社員の相手役をした結果、芝居に夢中になり、その芝居が東京都内の職場演劇コンクール出場で優秀賞を獲得[2]。同コンクールの審査員には後に恩師になる八田元夫がおり、その勧めで八田元夫演出研究所の夜間教室に通い始める[2]、研究所が劇団になった時点で脱サラ[2]。1953年の『歴程』で初舞台を踏んだ[12]。 声優業は、結婚や妻の妊娠で「何とかしなきゃいけない」と考え、安かろうと1本でギャラが入るテレビの仕事だったため、飛びついたことがきっかけ[2]。 洋画ではジェームズ・キャグニー、ジェリー・ルイス、ジャッキー・クーパーなどの吹き替えを担当。アニメでは『サザエさん』の初代フグ田マスオを約8年8か月演じていた。『はじめてのおつかい』ではナレーションを長らく担当していた[13]。 ラジオパーソナリティとしては、1971年10月4日開始の『こんちワ近石真介です』で人気を博し、ギャラクシー賞を受賞[12]。2020年、高齢を理由に『こんちワ近石真介です』時代から49年続いた『はがきでこんにちは』が同年9月25日放送回で終了するまで活動し、結果的にこれが最後の仕事となった[14][15]。 演出劇場を経て[16]、1957年、劇団3の会の創立に参加[16][11]。1958年、劇団演技座入団[10]。1961年、劇団青演の創立に参加[11]。1962年12月から2002年まで劇団東演(旧 - 東京演劇ゼミナール[16])に在籍[12][10]。 マネジメントは東京俳優生活協同組合[16][11]→ぱらーた企画[1]→ムーブマン[7]。 2022年10月5日午前8時、老衰により東京都内の自宅で死去[3][17]。91歳没。 テレビ草創期から活躍。俳優としては舞台を中心に活動し[12]、テレビドラマにも出演。 趣味・特技は落語、釣り、乗馬、味噌作り[7]。特に落語に関しては、「ギョロ目亭しん助」の名で高座に上がる腕前であった[19]。 兄が2人いる[要出典]。 ジェリー・ルイスについては「本当に好きだったなあ」と述べている[2]。芝居のリズムが早いため、予め大体の台詞を覚えてから収録に臨んでいたといい[20]、収録後は疲れる一方で「ジェリー・ルイスのあのリズムを俺は盗めたぞ」という何ともいい快感があったという[2]。 ジェームズ・キャグニーに関しては、自分の世界を常に強烈に打ち出すところが魅力的だと語っていた[2]。 『モンティ・パイソン』では開始当初にジョン・クリーズの吹き替えを担当していたが、すぐに納谷悟朗に交替。近石は、のちに納谷が演じることになる『ルパン三世』の銭形警部をパイロット版で演じたこともある。
来歴
人物
エピソード
吹き替え
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