辺見マリ
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41971年
1月4日A面めまい安井かずみ村井邦彦川口真L-1001P
B面男の部屋鈴木淳
51971年
4月5日A面太陽に走る女鈴木邦彦L-1025P
B面とまどい鈴木邦彦
61971年
8月10日A面愛のカフェテラス山口あかり平尾昌晃テディ池谷L-1043P
B面サンデー安井かずみ小谷充
71971年
12月10日A面サンドラの恋村井邦彦川口真L-1065P
B面光の季節
SMS Records
81980年
7月1日A面ルネッサンス岡田冨美子大野克夫船山基紀SM06-66
B面あどけなく門谷憲二鈴木キサブロー
91980年
10月21日A面燃えて刹那来生えつこ佐瀬寿一SM07-71
B面幸福竜真知子大野克夫
101981年
10月5日A面きらめきの舞い有馬三恵子小杉保夫松井忠重SM07-201
B面輪舞
日本クラウン
111992年
7月23日01白夜山上路夫N.Edwards水谷公生CRDP-43
02港のひなげしVentures
ポニーキャニオン
121998年
11月18日01Good-bye あばよ荒木とよひさ三木たかし川口真PCDA-01115
02不死鳥 -フェニックス-

アルバム
マリとあなたの部屋(1971年1月)

20才の女(1971年8月4日)

辺見マリとクリスマスを(1971年)

Love Letters(2001年10月24日)

出演
映画

ザ・タイガース 華やかなる招待(1968年、東宝東京映画)- モデル風通行人 役 (ノンクレジット)

なにがなんでも為五郎(1970年8月26日封切、松竹) - 歌手 役

経験(1970年10月6日封切、東映) - 歌手 役

めまい(1971年3月20日封切、松竹) - 中沢真里 役 初主演作

ヨコハマBJブルース(1981年4月25日封切、東映) - 椋民子 役

この子の七つのお祝いに(1982年10月9日封切、松竹・角川春樹事務所) - 青蛾 役

ユー・ガッタ・チャンス(1985年)- モニカ 役

テレビドラマ

陽気な逃亡(1980年、フジテレビ) - 村松田園 役

プロハンター 第16話「悪い女」(1981年、日本テレビ) - 早川冬子 役

私はタフな女(1981年、日本テレビ) - 涼子 役

ザ・サスペンス「裂けた眠り・人妻を狙う催眠術の甘い罠」(1982年5月29日、TBS) - 美弥子 役

松本清張の「顔」(1982年9月3日?24日、TBS 金曜ミステリー劇場) - 島内タツ子 役

時代劇スペシャル / 秘剣揚羽蝶 源氏九郎颯爽記 (1983年、フジテレビ)

青春前後不覚(1983年、NHK 銀河テレビ小説

松本清張の「断線」(1983年、テレビ朝日 土曜ワイド劇場) - 倉垣冴子 役

女ざかり(1984年、日本テレビ)

少女に何が起ったか(1985年、TBS) - 東節子 役

ヨロン島の謎 私が美人歌手を殺した!(1986年、テレビ朝日 土曜ワイド劇場)

浅草ふくまる旅館 第2シリーズ(2007年) - 岩村靖枝 役

暖流(2007年、TBS系ドラマ30) - 日疋幸江 役

家売るオンナ2016年、日本テレビ系ドラマ 第3話)

バラエティ

ズバリ!当てましょう(第2期)(フジテレビ) - 芸能界に復帰後初の番組。1979年4月より鈴木ヒロミツ(同年10月からは出門英)と共に進行役を担当、1980年1月からは勇退した泉大助に代わって、出門と共に司会に昇格した。1980年9月限りで降板。

サタデーナイトショーテレビ東京

しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間SP(テレビ朝日2015年9月14日) - 「洗脳されて5億円を失っちゃった先生」として出演。

踊る!さんま御殿!!日本テレビ

ビビット(TBS)

テレビアニメ

ゴルゴ13(1971年、TBS)

CM

日本石油

グリコ ファミリーデート

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回回曲目出演順対戦相手
1970年(昭和45年)/第21回初私生活15/24フランク永井

注意点


出演順は「出演順/出場者数」で表す。

書籍

「空白の1095日―“経験”エッセイ」(1992年4月、
廣済堂出版

「辺見マリの実戦!やせるメニュー (JOSEI SEVEN BOOKS)」(1994年4月、小学館)

「もうひとつの経験―本当の絆をつかんだ親子の愛」(2003年3月、青春出版社)

写真集

「INFINITO―辺見マリ写真集」撮影:谷口征(1993年5月、
竹書房

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 実際にはマリの下に双子の弟が生まれたが、生後間もなく二人とも亡くなったこともあり、マリは一人娘のように大切に育てられた[1]
^ 黒髪ではないマリからハーフと気づかれないよう、母親は髪を娘に合わせて明るい色に染めていた。このため、マリは後年に知らされるまで母と同じ“純粋な日本人である”と疑わずに育ったとのこと。
^ 当日、マリは顔なじみの会場スタッフに頼んで、出演者である布施明のサインをもらうため関係者用の廊下を歩いていた。するとマリの存在に気づいたナベプロが、会場スタッフから彼女にバレエ経験があることを聞き、上記のようにスカウトしたという[1]
^ ひろしの漢字は、「西」の真下に「早」。
^ 人気絶頂時での引退について本人は、「芸能界でスターになることに加え、愛する人ができたら結婚するというのも私のもう一つの夢だった。当時の私には結婚生活と仕事を同時にすることはできないから、西郷さんを支える縁の下の力持ちになろうと思って引退したんです」と述懐している[1]
^ 西郷から子育てのためにマリの両親との同居を提案され、「その方が僕も安心して留守にできるから」と言われたという[1]
^ 離婚の経緯についてマリは後年、「今思えば、同居生活で家族がお互いに気を遣い過ぎたのが原因かもしれません。その後西郷さんはだんだん家に帰ってこなくなってそのまま別居状態になり、結局結婚生活は9年で終わりました」と回想している。[1]
^ Sから話を聞いた時は、正直『コイツ、何言うてんねん(笑)』と思いました、でもそれから間もなく、私のディナーショーのポスターを見た人が『辺見マリってまだ歌手やってんの?もう古くねえ?』と悪口を言うのを偶然聞いてしまい、ひどく落ち込んじゃって…」と述懐している。


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