農業
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農業の起源については諸説あるが、ハーバード大学テルアビブ大学ハイファ大学の共同チームは、イスラエルガリラヤ湖岸で、23,000年前の農耕の痕跡(オオムギライムギエンバクエンマーコムギ)を発見したと、ニューヨーク・タイムズなどで報道されている[4][5]

また、約10000年ほど前、中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが発掘調査で確認されている。またレバントシリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)では、テル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。イモ類ではパプアニューギニアにて9000年前の農業用灌漑施設の跡「クックの初期農耕遺跡」がオーストラリアの学術調査により発見されている。農耕の開始と同時期に牧畜も開始された。

中緯度の狩猟民が定住化した後に農耕や牧畜を開始したことは「農業革命」と呼ばれており、その後の人類の社会に大きな影響を与えた[6]

植物を栽培するためには自然の植生を取り払う必要があり、土地を焼いた後に種子をまく方法が行われていた[7]。原始人は意識していたかわからないが草木の灰には養分が含まれており一種の施肥行為になっていた(焼畑[7]。しかし、これだけでは十分な養分の供給は難しく、完全な定着農業が実現したのはヨーロッパで発達した輪作や積極的な施肥(ヨーロッパでは主に厩肥、日本では主に刈草敷)といった方法が行われるようになったことによってである[7]

社会の分業化とともに自給自足、物々交換のための農業は商業化された農業へと移行した[7]
農業分野フィリピン・コルディリェーラの棚田群 ユネスコ世界遺産に登録されている世界最大規模の棚田である。アメリカカンザス州センターピボットによる耕作地ブラジルミナスジェライス州のコーヒー農園

産業分類や生産物分類では耕種農業と畜産農業(このほか農業サービスや園芸サービス)に大別される[8]。耕種部門と畜産部門の連携を耕畜連携という[9]
耕種農業

耕種農業とは米、麦、野菜等の生産活動を行う農業をいう[10]
耕作システム

耕作システムは利用可能な資源や制約条件(地形気候天候、政府の政策、経済的・社会的・政治的な圧力、農家の経営方針や慣習)によって変化する[11][12]

焼畑農業は毎年のように森林を燃やして、解放された栄養素を耕作に利用するシステムで、その後は多年生作物を数年間栽培する[13]。その区画はその後休閑地とされて森林に自然に戻り、10年から20年後に再度焼いて利用する。休閑期間は人口密度が増加すると短くなるため、肥料を導入したり、病害虫管理が必要となってくる。

次の段階は休閑期を設けない耕作システムであり、栄養管理と病害虫管理がさらに必要となる。その後さらに工業化が進展すると、単一作物の大規模栽培システムが登場する。特定の栽培品種だけを作付けすると、生物多様性が低下し、必要な栄養素も均一化し、病害虫も発生しやすくなる。そのため、農薬や化学肥料にさらに頼ることになる[12]多毛作は1年間に複数種類の作物を次々と栽培するシステムで、間作は複数種類の作物を同時に栽培するシステムである。他にも混作という類似のシステムもある[13]

熱帯では、これら全ての耕作システムが実際に行われている。亜熱帯砂漠気候では、農作物の栽培は降雨の時期(雨期)に限定されて1年間に何度も栽培することができないか、さもなくば灌漑を必要とする。それらの環境では多年生作物(コーヒーチョコレート)が栽培され、アグロフォレストリーのような耕作システムも行われている。温帯では草原プレーリーが多く、年1回だけ収穫する生産性の高い耕作システムが支配的である[13]

20世紀は集約農業、農業における集中と分業が進んだ時代であり、農業化学の新技術(化学肥料農薬)、農業機械品種改良交雑遺伝子組み換え作物)がそれを支えた。ここ数十年間、社会経済学的な公正さと資源保全の考え方や耕作システムにおける環境の考え方と結びついた持続可能な農業への動きもある[14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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