辰野金吾
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1945年6月 空襲により焼失[8]
第一銀行本店1902年東京都日本橋区兜町現存しない
にほんきんこう27大阪/日本銀行大阪支店1903年27大阪府大阪市
にほんきんこう26京都/日本銀行京都支店1906年26京都府京都市重要文化財現・京都文化博物館別館
たいいちきんこう26京都/第一銀行京都支店1906年26京都府京都市現・みずほ銀行京都中央支店/1999年に取り壊され、2003年にレプリカ再建
はまてらこうえんえき/浜寺公園駅1907年27大阪府堺市登録有形文化財辰野金吾が設計した初の鉄道駅舎
たいいちきんこう28神戸/第一銀行神戸支店1908年28兵庫県神戸市現・みなと元町駅/外壁保存
こくきかん/国技館1909年13東京都墨田区現存しないのち日大講堂。1982年に解体。
にほんせいめい40福岡/日本生命九州支店1909年40福岡県福岡市重要文化財現・福岡市赤煉瓦文化館
ならほてる/奈良ホテル1909年29奈良県奈良市
あさくさこくぎかん/浅草国技館1911年13東京都台東区現存しないのち劇場「遊楽館」「吾妻座」。1920年に焼失[9][10]
いわてきんこう/盛岡銀行本店本館1911年03岩手県盛岡市重要文化財現・岩手銀行赤レンガ館
まつもと/松本健次郎邸1911年40福岡県北九州市重要文化財現・西日本工業倶楽部会館
からつぎんこう/唐津銀行本店1912年41佐賀県唐津市登録有形文化財
ちようせんきんこう/朝鮮銀行本店1912年大韓民国ソウル特別市現・韓国銀行貨幣博物館
まんせいはし/万世橋駅舎(初代)1912年13東京都千代田区神田関東大震災で焼失
にほんきんこう01小樽/日本銀行小樽支店1912年01北海道小樽市現・日本銀行旧小樽支店金融資料館
おおさかきよういく/大阪教育生命保険1912年27大阪府大阪市現・結婚式場 オペラ・ドメーヌ
やすたせいていしょ/安田製釘所1912年40福岡県北九州市現・安田工業八幡工場、鉱滓煉瓦で作られた施設の中では最大級の面積を持つ
にほんきんこう07福島/日本銀行福島支店1913年07福島県福島市現存しない
にしゆうさん/二十三銀行本店1913年44大分県大分市登録有形文化財現・大分銀行赤レンガ館
ちゆうおうていしや/中央停車場
東京駅丸の内駅舎)1914年13東京都千代田区重要文化財
たけおおんせん/武雄温泉新館武雄温泉楼門1914年41佐賀県武雄市重要文化財
にほんせいめい26京都/日本生命京都支店1914年26京都府京都市登録有形文化財現・日本生命京都三条ビル
いなわしろだいいちはつでんしょ07福島/猪苗代第一発電所建屋1914年07福島県会津若松市日本遺産
ひやくさんしゆう/百三十銀行行橋支店1914年40福岡県行橋市県指定有形文化財現・行橋赤レンガ館
ひやくさんしゆう/百三十銀行八幡支店1915年40福岡県北九州市市指定有形文化財現・北九州市立旧百三十銀行ギャラリー
/きゅうほっこくぎんこう旧北國銀行京都支店1916年26京都府京都市
れいなんさか/霊南坂教会旧会堂1917年13東京都港区赤坂現存しない
とうきょうえいわがっこう/東京英和学校勝田ホール1918年13東京都渋谷区渋谷現存しない現・青山学院大学
おおさかしちゆうおう/大阪市中央公会堂
(中之島公会堂)1918年27大阪府大阪市重要文化財実施設計
めいしせんもん/明治専門学校本館1920年40福岡県北九州市現存しない現・九州工業大学/正門・守衛所は現存[11]
なんてんえん/南天苑本館1913年/
1935年27大阪府河内長野市登録有形文化財旧・堺大浜「潮湯」
「辰野金吾博士 作品集成絵図」後藤慶二 1916年

旧日本銀行小樽支店

旧岩手銀行本店本館

日本銀行本店

みずほ銀行京都中央支店

日本銀行大阪支店

大阪市中央公会堂

旧大阪教育生命保険

浜寺公園駅

奈良ホテル本館

旧第一銀行神戸支店

松本健次郎邸

旧日本生命九州支店

中央停車場(東京駅丸の内駅舎)

武雄温泉楼門

旧二十三銀行本店

旧朝鮮銀行本店

明治専門学校(現九州工業大学)旧本館の模型

ちゆうおうていしや/中央停車場(東京駅丸の内駅舎)

逸話

唐津では、のちに首相となる
高橋是清に英語を学んだ。さらに高橋の後を追って上京し、工学寮に入学している。

相撲好きで子のを相撲部屋に入門させた。のちに旧両国国技館を設計したのも辰野だった。

辰野が得意とした赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、辰野式建築(たつのしき けんちく)として知られる。明治から大正にかけて多くの建築家がこれを模倣した。現在でも台湾総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎は辰野が監修した作品の一つである。直接手掛けてはいないが台中市役所も辰野式が取り入れられた。教え子で総督府の技師だった森山松之助も辰野式を取り入れた台湾総督官邸台北州庁台中州庁台南州庁台南地方法院などを現地で手掛けている。

同じく1914年の作品のうち、東京駅ドームの天井にウシ・トラ・タツ・ヘビ・ヒツジ・サル・イヌ・イノシシの8つのレリーフがあるに対し、武雄温泉楼門の天井四隅にはネズミ・ウサギ・ウマ・トリの4つの彫り絵がある。合わせて十二支となるため、辰野の遊び心から来たと解釈する人もいる[12][13]

家族

実父・姫松倉右衞門 - 唐津藩士。足軽以下の下級武士。
[14]

養父・辰野宗安 - 父の弟。江戸の唐津藩屋敷詰

妻:秀子(1863年生) - 唐津藩士・鳥羽(西脇)乾三郎の妹。秀子の従妹に山川健次郎の妻りう。[15][16]

長女:須磨子(鈴木梅太郎の妻)

長男:(フランス文学者)

次男:(陸上競技選手、日本体育協会理事)

孫(隆の次男):高司薬学者

曽孫:智子(建築家、有限会社辰野武山建築設計事務所取締役)

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