辞賦
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謝霊運の「山居賦」をオマージュした沈約の「郊居賦」など古典的な賦の形式を継いだ作品もあったが、これに従わないものも多くなった[36]簡文帝による「採蓮賦」は短篇の抒情賦で、流布していた抒情詩を自由に取り入れつつ、華南を喜びと官能にあふれた理想郷として描き出した[36]。蓮を採る行為は伝統的に農婦と結びつけられてきたが、5世紀初頭には賦や詩における一般的な主題となった[37]

?信は、歴代最後の賦の大家として知られる[38]。?信は顔之推と同じく華南に生まれ、南朝の敗北後に北朝の北周に移住することを余儀なくされた後は、南朝の滅亡を南方文化や生活の喪失として描き出すことに腐心した[39]。 ?信の代表作は、江南とその文化の滅亡という時代に翻弄された人生を描いた「哀江南賦」である[39]
唐?清

の時代、賦は著しい変貌を遂げることとなる[40]。唐初には賦が科挙の一部に組み込まれ、この要請を受けて律賦という新しい賦の形式が旧来の賦に取って代わった。律賦は形式や表現に厳しい制約があり、全体を通じて所定の韻律を守らなければならない。加えて、平仄の配置にも規則がつくられた[40]。押韻や双声・畳韻といった音韻的な近似性の意識は漢代以前から存在したものの、声調については意識されていなかった。しかし5世紀に伝来したサンスクリットパーリ語仏典の研究が四声の自覚を促し、中国語の音韻の体系化に向かわせたのである[40]。唐の文章家は従来の賦の主題に、典故に基づく道徳的要素を新たに取り入れた[40]

こうした駢賦や律賦の流行は、形式と修辞ばかりが先行し、賦を漢代の諷諫や苛烈な現実描写の精神から遠ざける結果を招いた[41]古文復興運動とも呼応して、826年杜牧の「阿房宮賦」が散文で自由に韻を踏む文賦と呼ばれる新たな賦の基礎を確立し、晩唐から宋にかけての賦の主流となった[42]欧陽脩の「秋声賦」、蘇軾の「赤壁賦」などは今日にも名高い[41]9世紀?10世紀までには、伝統的な賦は主に歴史研究の対象となり、科挙に取り入れられたことで広く読まれ筆写された[43]

文学史において時代の賦が言及されることはほとんどないが、依然として文賦や律賦の創作は盛んに行われていた[44]。明清の八股文の影響を受けた文体を股文賦と呼ぶこともある[14]。また、特に清代にかけての考証学の隆盛とともに、賦に関する研究・著作は古今に類を見ないほどの隆盛を見せる。清の陳元龍は、当時知られていた4155の賦を集め、1706年に『歴代賦彙』として発刊した。また同じく清代の賦集『賦海大観』には12000余篇が収められており、その大半は清人の作である。同時代には他にも多くの賦集が作られたが、これらは特に賦文学の二大総集とされている。更に清代には「賦話」と呼ばれる、賦を専門的に論じる随筆的文学が現れる。欧陽脩の『詩話』以来しばしば書かれてきた「詞話」「四六話」などの文体別の評論文に連なるものであり、李調元『賦話』や浦銑『歴代賦話』などが有名である[44]
近代

賦、とりわけ漢代の賦は歴代の文学ジャンルの中でもとりわけ多くの毀誉褒貶にさらされてきた[45]。道義的意義が曖昧であるとする批判は前漢の揚雄に始まり、以後多くの学者の述べるところであるが、辛亥革命以来の近代中国ではこうした儒教的価値観からの批判に加えて、封建的社会制度への懐疑が賦文学の評価に影を落とすこととなる。1930年代には、金秬香や陶秋英らによる優れた研究書が現れる一方で、鄭振鐸胡適などの名だたる文人が漢賦に激しい批判を加えている[46]。また柳存仁は1948年に、晩期の賦が文人貴族の媚びへつらいの玩具に成り下がり、何の価値も見出せないものとなったと批判している[47]。こうした社会的風土の下で賦はほとんど等閑視され続け、本格的な文学的研究が現れるようになったのは1980年代末になってからのことであった[46]。1990年代から2000年代にかけて出版された『両漢大文学史』や『辞賦散論』などは、古代中国における芸術上の一大高峰を極めた物として賦を論じている[48]
特徴

押韻は通常、換韻がなされ、一韻到底は少ない。換韻は意味的な段落が変わるときになされることが多い。隔句韻が最も多く、また毎句韻も多い。しかし、散文的要素が強い場合、長く押韻しないものもしばしばである。

本文とは別に、賦の前後には「序」と「乱(または系など)」が添えられる。序は作賦の趣旨などを述べ、乱などは全篇の内容を要約するものとされているが、必ずあるとも限らず、これらが本文と融合して区別の困難なものもある。一般に、抒情的な内容の賦には序や乱がつくことが多い[49]
分類

賦の分類に関しては、明の徐師曽が『文体名弁』で提唱した大賦(だいふ)・駢賦(べんぷ)・律賦(りっぷ)・文賦(ぶんぷ)の4分類[50]が広く用いられている。時代や形式に応じた区別であるが、対句や平仄を重視するか否かで古賦と律賦の2種に大別する場合もある。

大賦は漢代に特徴づけられる賦で、漢賦ともいう。また文賦と合わせて古賦(こふ)とも言われる。問答体形式を取ることが多く、散文の句(散句)を交えていることを特徴とする。句の字数は『詩経』や『楚辞』の形式を継承して四言や六言が多いが、三言・五言・七言なども見られる。かなりの長句もめずらしくない。


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