平安時代には天皇の乗用具として奈良時代から用いられていた鳳輦だけでなく葱華輦も用いられるようになり使い分けられた[4]。また、新たな輿の形態である腰輿が出現したのも平安時代とされている[4]。
鎌倉時代には『吾妻鏡』などに鎌倉将軍家の人々が輿を利用したことが記されている[5]。また、室町時代には将軍、鎌倉公方、管領家などごく限られた上級武家のみが使用できる牛車に次ぐ特別の乗用具とされた[6]。
江戸時代は「駕籠の時代」といわれ主要な乗用具は馬と駕籠であった[7]。輿を用いることができる武家は厳格に定められ、御三家と御三卿、7つの松平家、その他加賀前田家など22家を合わせた合計35家のみであった[8]。家格によっては親藩の大名でも輿の使用は認められなかった[8]。
葬儀では棺を輿で担ぎ自宅から墓地まで葬列が続く「野辺送り」が行われていたが、大正時代には都市部で路面電車が普及したことで葬列が線路を塞ぐという問題が起きたことや葬儀場の郊外移転により、霊柩車に取って代わられるようになった[2]。 中国では周や秦の時代には主に馬車や牛車が利用されており、それは漢から晋の時代まで続いた[9]。輿は秦や漢の時代から一部で使用され、唐の時代には高貴な女性の乗り物として兜輿(とうよう)が用いられた[9]。さらに後唐では宰相が参内するのに肩輿が用いられるなど輿は男女の区別なく使用されるようになった[9]。 宋の時代には肩輿は轎子(きょうし)と呼ばれるようになり、明や清の時代には武官は騎馬、県令以上の文官は轎子に乗ることが一般的になった[9]。 ロンドンでは1623年から椅子駕籠が運行されるようになり、1634年にはダンコム卿がセダンと名付けた[10]。ロンドンにおけるこのセダン椅子と呼ばれる乗り物は徐々に普及し1712年までには約300台に対し免許が行われた[11]。 18世紀にはオーストリアのウィーンで輿の運行が認可されるなどヨーロッパ各地で馬車よりも手軽な乗り物として椅子輿が普及した[9]。ヨーロッパの椅子輿は明治時代に横浜でも導入されていたほか、中国の観光地では今でも乗り物として利用されている[9]。
中国
欧州
ギャラリー
乾隆帝の南巡、輿が16人で担がれている。
中国・天津、19世紀後半。
香港、1870年頃。
現代の中国。
朝鮮のカマ、1890年頃。
インドネシア・ジャワ島。
トルコのタフトゥレワン taht?revan、1893年。
古代ローマ時代のレッティガ(レクティカ)。
輿に実際に乗れる観光地.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、輿に関連するカテゴリがあります。
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脚注^ 江戸初期の『武家諸法度』(元和令)には、「雑人、恣(ほしいままに)不可乗輿事」(身分の低い者は、許可なく輿に乗ってはいけない事)と記されている。
^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2017年3月15日). “クラシカル霊柩車絶滅の危機…火葬場入場禁止の自治体も 「走る寺」アジア仏教国では人気
^ a b c 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、2頁。
^ a b 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、10頁。
^ 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、20頁。
^ 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、26頁。
^ 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、33頁。
^ a b 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、35頁。
^ a b c d e f 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、55頁。
^ 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、60頁。
^ 櫻井芳昭『ものと人間の文化史 輿』法政大学出版局、2011年、61頁。
参考文献
石村貞吉 『有職故実 下』〈『講談社学術文庫』〉 講談社、1987年 ※「調度・輿車」
佐多芳彦 「輿」 『歴史学事典』(第14巻 ものとわざ) 弘文堂、2006年 ISBN 978-4-335-21044-0
五島邦治監修 『源氏物語と京都 六條院へ出かけよう』 風俗博物館編集・光村推古書院、2005年 194頁 ISBN 978-4-8381-9931-0
典拠管理データベース
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