軽自動車
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当時の平均月収は数万円程度[4]であり、庶民の足となりえる原動機付きの乗り物はホンダ・カブFに代表される自転車後付エンジン(広義のモペッド)か原動機付自転車、250cc程度までの小型オートバイ(軽二輪)、高くてもダイハツ・ミゼットに代表される販売価格20万円台の軽三輪自動車までが精々という時代背景であった。

その後1958年に「スバル・360」が登場。先行車両をデザイン、性能、パッケージングなどあらゆる面で上回るものでありながら販売価格は45万円を切る[注釈 4]ものとなり、軽四輪自動車が国民に爆発的に普及する原動力となった。スバル・360の成功はそれまでもっぱらオート三輪の製造に注力していたマツダ、ダイハツ、三菱などのメーカーの経営方針を四輪中心に転換させる原動力ともなった。同時に各社とも貨物車の開発にも力を入れ、この過程で誕生した「軽トラック」や「軽ワンボックス」は日本の経済活動にとって欠かせないものとなった。またホープ自動車ホープスター・ON型4WDは改良発展で後にスズキ・ジムニーとなり、オフロード車としても成功を収めた。以降、業務用からレジャー用のバギーカーまでが出揃うほどの多様な車種展開を見せ、その発想は現在の車種にも受け継がれている。

世界各国の「サイクルカー」が姿を消していく中、日本の「軽自動車」は、本格的な自動車としての生き残りに成功した。その後、3度にわたって大幅な規格拡大があり、現在に至っている。1990年の660 ccへの排気量拡大以降は、それまで多くの車種でオプション設定に留まっていたカーエアコンカーオーディオの標準装備化も進んでいき、1998年の現行規格登場後はエアバッグ衝突安全ボディーの実装、さらに2012年現在ではアイドリングストップ副変速機付きCVTバックモニターなどの装備も進んでいる。また、ダイハツがムーヴを皮切りにスマートアシストを主力車種に投入したことから、2014年頃には各社とも衝突被害軽減ブレーキを主力乗用車種に設定し、2016年現在ではそれらに引っ張られる形で乗用型の存在する商用車(アルトバンハイゼットキャディー〈≒ウェイク〉など)にも設定があるなど、フルBセグメント以下の国産の小型車と比較して急速に[注釈 5]ASV化が進んでいる。このように軽自動車は単なる「廉価な四輪車両」の地位に留まらず、小型登録車と遜色ない快適性や安全性を有するまでになってきている。

しかし、軽自動車の自動車としての確立と性能向上に従い、当初の優遇措置は次第に打ち切られていき、車検の義務化や重量税の課税など登録車と同様の課税や規制が掛けられるようになっていった。また、その成立過程と税制、市場の特殊性故に今日まで国外での販売実績・普及はほとんどないままであり、国内市場からはコンパクトカーとの競合(特にリッターカークラス)での税制面の優遇における批判、海外市場からは「日本市場の閉鎖性と保護政策の象徴」として批判の対象となっている(後述のクワドリシクルなど日本以外にも類例の規格はないわけではない)。ただし、海外向けには軽自動車のエンジンだけを800[注釈 6] - 1,300 cc程度に拡大したものは多数あり、660ccのままでの海外進出の例もある。その一例としてはプロドゥア(マレーシア、ダイハツ合弁)のカンチル/ビバ(≒ミラ)のベースグレードやパキスタンで現地生産されるスズキ・アルト(HA36)があり、アルトの件に関しては、海外では無謀とされていた660ccのままでの進出に関し並行輸出車の利用実態から可能であるとされたことによる。日本からの完成車輸出や現地でのノックダウン生産を経て、完全国産化を果たしてその国(地域)独自の商品へと進化したものもある。1990年代以降の日本国内仕様にもスバル・ドミンゴミラジーノ1000パジェロJr.ジムニーシエラなどがある、特に軽トラック軽ワンボックスバンはその実用性が評価され、海外でも広くその姿をみることができる。軽自動車を製造しているメーカー各社は低コストで車を作る技術を蓄積し、新興国での競争力強化につなげることを目指している。しかしアメリカでは州にもよるが安全性の観点から公道の走行を禁止されており、農業用としての使用が一般的である。

ナンバープレートは、自家用・貸渡用・駐留軍は黄地に黒字、事業用は黒地に黄字の中板(330 mm × 165 mm)である。ただし、1974年以前に製造された軽自動車は、自家用・貸渡用・駐留軍は白地に緑字、事業用は緑地に白字の小板(230 mm × 125 mm)となる。このタイプでは、住所変更や所有者変更などで新規にナンバープレートを発行する場合でも従前どおりの小板が発行される。このため、21世紀になって登場したご当地ナンバーでもこのタイプのための小板が存在する。現在も小板が発行されている理由は車両の構造上中板が取り付けられないためであるが、1974年製造の一部車種(三菱・ミニキャブなど)はナンバープレートの取り付けスペースを中板対応にし、ナンバープレートを固定するナットを小板用と中板用の2組設置して小板・中板のいずれも取り付けられるようにしているものもあった。なお、小板は現在でも250 cc以下の軽自動二輪車で用いられている。ナンバープレートは、映像作品や、趣味の面においての時代考証でも重要な用件となる。

登録車のような所有権の登録制度がないので、届出に際し印鑑証明は不要である。また登録車とは異なり、多くの自治体で保管場所証明を申請する義務がなく、車庫証明も不要である。現在は東京23区政令指定都市県庁所在地および(おおむね人口10万人以上の)各市でナンバープレート交付後の届出が必要となっている[5]
軽二輪

軽二輪とは、側車(サイドカー)がない限り、125 cc超250 cc以下の自動二輪車のことである。なお、エンジンの総排気量が250 cc以下で側車サイドカー)がある場合は、125 以下でも50 ccを超えていれば軽自動車として扱われる。この排気量帯の二輪車については、普通自動二輪車(エンジンの総排気量が50 ccを超え125 cc以下で、側車(サイドカー)がある二輪車の場合は小型自動二輪車)および検査対象外軽自動車を参照のこと。「小型自動二輪車#備考」および「サイドカー#50t超」も参照
成立までの経過

軽自動車の発展は、まだ日本の自動車普及率が高くなかった1950年代モータリゼーション推進と日本の道路事情に見合った車の開発をめざした「国民車」構想の延長にあると、従来言われてきた。しかし実際にはこの構想において成功した自動車メーカーは皆無であった。富士重工業(現・SUBARU)における「スバル・360」の開発は「軽自動車の枠で、普通乗用車と同じ能力を」という前提で開発されており、最初から国民車構想をさらに上回る企画であった。

また平均的日本人における成人男子の体格が世界的に見て小柄であったことも、同車種が日本国内の市場に受け入れられた遠因に挙げられているが、当時のスバルやホンダの軽自動車がほぼエンジンのみを拡大して450 - 600 ccとし、そのまま北米などに輸出され好評であったことから、欧米人の体格でも日本の軽自動車サイズで特に問題はなかった。

過去3度における大幅な規格拡大も、排気ガス抑制のための4サイクルエンジンへの移行促進(360 cc→550 cc)、高速道路網の拡張への対応やカーエアコンの普及による馬力荷重の悪化(550 cc→旧660 cc)、普通車同様の衝突安全基準の採用(旧660 cc→新660 cc)が主たる理由である。
軽自動車の特徴と用途
特徴

軽自動車の特徴は

車両本体価格のほか、
税金保険料などの維持費も安い

車体が小さく取り回しが容易

などである。地方のスーパーマーケットと買い物客の軽自動車。(愛媛県四国中央市旧土居町にて撮影)

道路の整備が進んで渋滞が少ない、ロードサイド店舗が発達している、公共交通機関の便が悪いことなどから、自家用車の利便性が高い地方では、個人の通勤買物など、日常生活の足として一世帯で複数台の自動車を所有することが一般的である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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