軽便鉄道
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1950年10月の釜石線全通に伴う旧・釜石西線区間(旧・岩手軽便鉄道)の改軌および一部廃止を最後に、762mm軌間の国鉄線は消滅している。

しかしこのような工事は、新線建設に近い投資を必要とするため、資本力に乏しい民営鉄道では着手困難なことが多く、規格向上に踏み切れないうちにモータリゼーションの影響を受けるようになって廃止された軽便鉄道も多い。

非電化軽便鉄道が、軌間はそのままに電化のみ行った例は多数存在する。戦前には輸送力増強目的で、また戦中戦後には石炭・石油燃料不足への対策として実例が多数生じた。だが1067mm以上へ改軌した例と比較すると、輸送力や速度の制約が大きいために、根本的な体質改善を遂げたとは言い難かった。電化された軽便鉄道もその後の改軌を伴わなかった場合、三重交通から近畿日本鉄道に移管された一部路線を例外として、結局全て廃止されている。

なお762mm軌間からより高規格への改軌を行ったもっとも遅い例は、1962年の同和鉱業小坂鉄道[11]、1964年の三重電気鉄道三重線(湯の山線区間)[12]であるが、前者は大規模な新鉱床発見に伴う貨物輸送能力の強化策、後者は観光開発需要に伴う規格向上であった。
現存例黒部峡谷鉄道(2008年8月21日撮影)

軽便鉄道の規格のままの営業鉄道は、四日市あすなろう鉄道内部・八王子線三岐鉄道北勢線黒部峡谷鉄道が残るのみで、すべて電化路線である。

産業用としては、上記にもある国土交通省立山砂防工事専用軌道が工事用として、水口産業建設の小口川軌道や黒部峡谷鉄道の支線にあたる関西電力黒部専用鉄道はダムへの資材輸送用に、森林鉄道では屋久島安房森林軌道が現存している。
保存活動ほか

軽便鉄道については、施設規模や車両の小ささを生かして、各地で動態保存の活動が活発に行われている。
代表的な動態保存事例丸瀬布森林公園いこいの森の旧武利意森林鉄道21号機(雨宮21号)と旧井笠鉄道客車(2014年

丸瀬布森林公園いこいの森北海道紋別郡遠軽町) - 軌間762mm、延長2km。武利意森林鉄道蒸気機関車、鶴居村営軌道ディーゼル機関車、井笠鉄道客車ほか。

まむろがわ温泉 梅里苑山形県最上郡真室川町) - 軌間762mm、延長1km。仁別森林鉄道ディーゼル機関車。

羅須地人鉄道協会まきば線成田ゆめ牧場千葉県成田市) - 軌間610mm、延長500m。基隆炭鉱蒸気機関車、国土交通省立山砂防工事専用軌道ディーゼル機関車ほか。

赤沢自然休養林長野県木曽郡上松町) - 軌間762mm、延長2km。木曽森林鉄道ディーゼル機関車。

くびき野レールパーク(新潟県上越市) - 軌間762mm、延長130m。頸城鉄道ディーゼル機関車、気動車。

いしかわ子ども交流センター小松館石川県小松市) - 軌間762mm、延長473m。尾小屋鉄道ディーゼル機関車、気動車、客車。

魚梁瀬丸山公園(高知県安芸郡馬路村) - 軌間762mm、延長408m。魚梁瀬森林鉄道ディーゼル機関車。

野辺山SLランド長野県南佐久郡南牧村2018年閉園) - 軌間762mm、延長350m。台湾製糖蒸気機関車、木曽森林鉄道ディーゼル機関車。


遊覧鉄道等

遊園地などでは、軽便鉄道規格の鉄道形遊戯施設が運行されていることも多いが、なかでも福島県伊達市やながわ希望の森公園や、千葉県東京ディズニーランドウエスタンリバー鉄道)、静岡県虹の郷愛知県愛知こどもの国大阪府浜寺公園などは、走行距離の長い規模の大きいものである。このうち「虹の郷」は、381mm軌間のイギリスのロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道およびレーブングラス・アンド・エスクデール鉄道がベースで、イギリスから譲渡された車両も運行されている。

西武山口線はもとは「おとぎ電車」という名称の遊戯施設であったが、1985年に案内軌条式鉄道AGT)に改良され、現在は一般の鉄道路線になっている。

伊予鉄道では、復元した軽便鉄道の機関車と客車を、明治時代松山に滞在していた夏目漱石にちなんで「坊っちゃん列車」として走らせている。牽引車両は当時の蒸気機関車そっくりの外見であるが、現代の都市の路面を走行することからディーゼル動力であり、また軌道は既存の1067mm軌間である。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 非電化路線で最後まで残ったのは1977年廃止の尾小屋鉄道

出典^ 事業者や準拠する法規の違いなどから、国鉄線や軌道法に基づいた軌道線、一部路線のみが軽便鉄道に該当する鉄道会社の場合の該当する路線については、「軽便鉄道」ではなく「軽便線」などと呼び分ける場合もある。
^ ポール・ドコービル の可搬式軌道システムに由来し、陸軍鉄道連隊でも採用された。
^ 日本では1067mmや1435mm軌間の路線は社会通念上の「軽便鉄道」に含まれない場合が多い。
^ 広浜電車が国鉄に身売り、可部線に『中国新聞』昭和11年8月31日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p623 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ もっともこの釜石鉱山鉄道は、線路規格も京浜間や阪神間の官設鉄道と比較しても遜色が無く、導入した蒸気機関車も1872年の新橋 - 横浜間開業時に用意された機関車よりも牽引力が大きく動軸重も重いものであり、現在の日本における「軽便鉄道」の様相とは異なるものであった。
^ 南海電気鉄道の前身。路線は現在の南海本線の一部。
^ 国鉄との直通運転を前提とし、将来は国有化する方針であったため。
^ 国鉄線と接続しない独立路線であり、かつ創業者がドコービルのシステムに感銘を受けたのが、採用の理由であったという。
^ 原田勝正青木栄一『日本の鉄道』、三省堂、1973年、148頁
^ 安保彰夫『RM LIBRARY89 西大寺鉄道』株式会社ネコ・パブリッシング、2007年、ISBN 978-4-7770-5189-2、P11-12。
^ 軌間の1067mmへの変更および電化区間の非電化への変更を実施。
^ 軌間の1435mm化と架線電圧の直流750Vから直流1500Vへの昇圧を実施。


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