軍神
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肉弾三勇士詳細は「爆弾三勇士」を参照

爆弾三勇士」とも。第一次上海事変時、国民革命軍第19路軍が上海郊外に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破し、自らも爆死した独立工兵第18大隊(久留米)の3名の一等兵(戦死後に伍長)のことを指す。昭和期に入って初めての軍神。

江下武二 伍長

北川丞 伍長

作江伊之助 伍長

東京・芝の青松寺には、彼らの銅像の一部が残されている。

また、田河水泡著「のらくろ」の『少年倶楽部』1932年5月掲載分にこれをモチーフにした描写がある。その内容は、のらくろの部隊も参加した戦いで、鉄条網破壊作戦に志願した3名が背に爆弾を背負い鉄条網に向かって行きそのまま爆死するというもの。のらくろはその戦の功績(敵大将を生け捕った)で上等兵に昇格したが、戦死した決死隊3名の墓前で涙を流す、珍しい作風の締めとなっている。のちに刊行された単行本『のらくろ上等兵』でリライトされた際には、3名が破壊筒を携えていく、実際の「三勇士」に近い描写に変更されている。
荒木克業大尉詳細は「荒木克業」を参照

満州事変後、元張学良軍出身の軍人たちが満州国建国に反発して邦人を人質にしたホロンバイル事件において、鉄道第一連隊の所属だった荒木克業中尉(死後大尉に昇進)は、追撃隊の先頭となった。道中、敵の放った突放貨車の脱線を試みたが、脱線器の装着具合を確認していたため退避が遅れ戦死。死後、浄瑠璃や浪花節に取り上げられ、鉄道第一連隊の敷地内には銅像が制作された。
杉本五郎中佐詳細は「杉本五郎」を参照

山西省広霊県において中隊長として従軍した杉本五郎少佐(死後中佐)は、敵陣に突撃して重症を負い、直立不動の姿勢で宮城(皇居の前呼称)の方角へ敬礼をしたまま絶命した。国粋主義者であった彼の遺書「大義」は、終戦に到るまで版を重ね29版、130万部を超える大ベストセラーとなった。
西住小次郎大尉詳細は「西住小次郎」を参照

久留米戦車第一連隊の小隊長であった西住小次郎中尉(死後大尉に昇進)は、第二次上海事変から徐州会戦中の昭和13年5月17日に流れ弾に当たって戦死するまでの間、30回以上の戦闘に参加した。菊池寛による小説「西住戦車長伝」が東京日日新聞大阪毎日新聞に連載され、1940年(昭和15年)松竹により映画化、上原謙が西住役として主演している。軍から公式に「軍神」として指定されたのは西住が最初。
九軍神九軍神

大東亜戦争中のハワイ海戦(真珠湾攻撃)において、甲標的に乗組み、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が「特別攻撃隊の偉勳」として軍神とされた[5]。(1942年3月6日海軍省発表)

岩佐直治 中佐

横山正治 少佐

古野繁実 少佐

広尾彰 大尉

佐々木直吉 特務少尉

横山薫範 特務少尉

上田定 兵曹長

片山義雄 兵曹長

稲垣清 兵曹長

潜航艇は1隻2人乗りで、生存者の酒巻和男少尉は捕虜となったのだが、大本営発表ではこの事実は伏せられた。但しVOAの報道により実態は密かに流布された。

甲標的の訓練が行われた三机湾(愛媛県伊方町)には慰霊碑が設置されている。

九軍神を題材にした文学作品には、坂口安吾の短編小説『真珠』があり、詩人佐藤春夫斎藤茂吉高浜虚子も以下のような献句を綴っている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}ますら男のかたき心に

かねてより水漬屍を
こひねがひ時到る日を待てりしか
友九人ねがひは一つ—佐藤春夫「特別攻撃隊軍神の頌の(一)」九つの軍の神のおもかげをすめらみことはみそなはします

にごりなくひたぶるにしてささげたる九御命あふがざらめや
そのこころ極まりぬればあなこ漬け特別攻撃隊の名をぞとどむる—斎藤茂吉其名こそ春あけぼのの目にさやか

若草に老の涙はけがらはし母子草
その子の母もうち笑みて—高浜虚子「軍神九柱」
松尾敬宇中佐詳細は「松尾敬宇」を参照

シドニー湾攻撃に特殊潜航艇艇長として参加した松尾敬宇大尉は、魚雷発射管の故障により攻撃が叶わず、艇を敵艦へ体当たりさせることで魚雷を爆発させようと図ったが、これも失敗。部下とともに自決した。死後2階級特進し、豪海軍より丁重に葬儀が行われた(詳細は特殊潜航艇によるシドニー港攻撃#海軍葬を参照)。松尾ら4人の戦死は当時の日本で美談視されていたが、1942年10月5日、遺骨が日本に送還されてきた際に、海軍は報道各社に「特殊潜航艇4勇士は軍神扱いせざること」を申し入れた[6]。これは、真珠湾攻撃の際に特殊潜航艇で戦死した「九軍神」の希少価値を下落させたくない、との配慮とみられている[7]
加藤建夫少将詳細は「加藤建夫」を参照

大東亜戦争中のベンガル湾上空におけるイギリス空軍機との空戦で被弾し、1942年に戦死した陸軍中佐(戦死後に陸軍少将加藤建夫が軍神とされた。軍神とされた理由としては、加藤は日本軍史上最多の7枚の感状(個人感状・部隊感状合わせ)を受賞の古参の戦闘機操縦者であり、何よりも高潔ながらも愛嬌があり、誰からも信頼されるその人柄の良さ、軍人として優れた指揮官であった事からとされる。また、加藤はその名を配した加藤隼戦闘隊として有名な帝国陸軍飛行第64戦隊戦隊長であり、後に加藤や部下の戦隊隊員達の活躍や最期を描いた戦争映画加藤隼戦闘隊」が作られ、同隊の部隊歌も有名となった。
関行男中佐詳細は「関行男」を参照

大東亜戦争中の1944年に発生したレイテ沖海戦において、神風特別攻撃隊・敷島隊隊長として指揮し、自らもアメリカ艦船に突入し戦死した、特攻隊の戦死者第1号として有名な海軍大尉(戦死後に海軍中佐関行男も、死後は軍神として畏敬の対象とされた。10月25日の4度目の出撃で、敷島隊1機(一説には2機)が護衛空母セント・ローに突入し撃沈させた。これは一般に関機と言われ、関大尉は戦死した。実際の特攻隊の戦死者第1号は大和隊隊長・久納好孚中尉であるが、「海兵出身者を特攻第1号に」との上層部の意向で、関が特攻第1号として公表された。
脚注^ a b 桜井英治『日本の歴史12 室町人の精神』講談社 、2001年 p.44.
^ 『広辞苑 第六版』岩波書店の血祭の項にも説明がある
^ 『前橋市史 第一巻』 p.823.
^ 例えば『征露戦報』6号(明治37年4月)の特集は「軍神廣瀬中佐」:歿後一月余にして既に「軍神」とされていたと判る
^ 『写真週報』212号、p.2
^ 鶴見俊輔加藤典洋黒川創『日米交換船』新潮社、2006年3月、358-359頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4103018518


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