軍用機
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ドイツは1914年にパリ爆撃、1915年に飛行船による爆撃、1917年に英本土爆撃を行い、それに対し、イギリス、フランスも報復爆撃を行った[3]。1915年後半になると、飛行機に戦闘機、爆撃機という分科機能が現れた[4]

1920年代初頭、日米英海軍は航空母艦と艦載機を開発する[5]
第二次世界大戦

1921年、航空戦力の本質を攻勢とし、空中からの決定的破壊攻撃を説いたジュリオ・ドゥーエの『制空』が発刊され、1927年には世界的反響を生んだ[6]。ドゥーエやミッチェルに代表される制空獲得、政戦略的要地攻撃を重視するには戦略爆撃部隊の保持が好ましく、1930年代には技術的にも可能となり、列強は分科比率で爆撃機を重視するようになった[7]

この頃から補助戦力であった航空機を主力にする主張が各国で現れる。アメリカ陸軍のウィリアム・ミッチェルは戦艦無用論の提唱者であった。1921年、ミッチェルによって陸海軍協同で戦艦に対する大規模な爆撃実験を行なわれ、陸軍のマーチン爆撃機(MB-2)数機で大西洋岸に浮かべた実験艦に対艦爆撃を行い、ドイツの戦艦オストフリースランド、旧式戦艦ニュージャージ、軽巡洋艦フランクフルトを撃沈した。ミッチェルはアメリカ空軍の設立を各方面に説いてまわったが、容れられず、軍首脳の不興を買って左遷された[8]

1939年9月、第二次世界大戦が勃発。1941年12月、日本も参戦し、太平洋戦争が勃発。開戦劈頭に日本海軍が実施した真珠湾攻撃でアメリカの戦艦数隻が撃沈され、主力としての航空機の認識が高まった。大戦末期には、ドイツで世界初のジェット戦闘機であるMe262が誕生した。また、大戦ではヘリコプターが移動や哨戒の用途で使用された。
第二次世界大戦後

大戦後の航空機はプロペラ機からジェット機へと移行していった。ベトナム戦争ではヘリコプターが攻撃任務に使用された。

中途半端ではない多用途作戦機が登場する。これは戦車におけるMBT(Main Battle Tank)の出現と同様にエンジン性能からくる重量制限が性能向上と共に緩和された事による。(第二次世界大戦期の爆撃機並の兵器搭載量、夜間戦闘機並みの高性能レーダー等)


自動制御技術の進歩とともに無人航空機(UAV)の導入も進み、巡航ミサイルや無人偵察機、無人攻撃機などが実用化されている。
脚注^ a b 青木謙知『ミリタリー選書1軍用機入門』イカロス出版10頁
^ 戦史叢書52 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 57頁
^ 戦史叢書52 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 59-60頁
^ 戦史叢書52 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 58頁
^ 『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社6頁
^ 戦史叢書52 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 233頁
^ 戦史叢書52 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 373頁
^ 山本親雄『大本営海軍部』朝日ソノラマ52-53頁

関連項目

軍用機の命名規則

艦載機

直掩機

実験機試作機

軍事 - 軍隊 - 空軍

航空戦 - 航空作戦

政府専用機

軍艦

ノーズアート

国籍マーク

外部リンク

軍用機ミュージアム 時事ドットコム


『軍用機』 - コトバンク










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