軍楽隊
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抜刀隊」・「扶桑歌」・「陸軍分列行進曲(分列行進曲・観兵式分列行進曲)」を作曲したシャルル・ルルーがフランス人であり、また帝国陸軍は一貫してフランス軍ドイツ軍に倣っていた事もあり、初期の主要軍楽隊員はフランス・ドイツに留学する事が慣習であった。技量優秀な者は東京音楽学校に特修生として派遣され、より高度な教育を受けることが出来た。後に中止されるものの、吹奏楽のみならず弦楽器に関する教育も行われており、ワーグナーシューベルト交響曲などもレパートリーとしていた。陸軍の軍楽隊という性格から戸山学校では乗馬しての馬上演奏の教育もされていた。太平洋戦争中は陸軍戸山学校などから隊員を捻出したり、各軍楽隊を統合するなどし、関東軍支那派遣軍南方軍といった総軍に軍楽隊を増設している。

演奏のみならず、部隊歌といった軍歌・軍楽の作曲や、行進曲への編曲活動も盛んに行われており、著名なものとしては1921年(大正10年)[6]当時の陸軍戸山学校軍楽隊が作曲した「陸軍士官学校校歌」や、1940年(昭和15年)当時の南支那方面軍軍楽隊が作曲した「飛行第64戦隊歌(加藤隼戦闘隊・加藤部隊歌)」などがある。また、陸軍軍楽隊(陸軍戸山学校軍楽隊)には軍楽隊員の中から臨時的に編成される合唱団の存在があり、演奏ともども多くのレコードに歌を吹き込んでいる。

1944年(昭和19年)11月には、中国戦線にて陸軍軍楽少尉の指導のもと速成される軍楽隊をコミカルに描いた映画『野戦軍楽隊』(松竹映画、監督マキノ正博、主演佐分利信上原謙佐野周二李香蘭)が完成・公開された。

敗戦による陸軍解散後、陸軍軍楽隊(陸軍戸山学校軍楽隊)は禁衛府皇宮衛士総隊奏楽隊となり、禁衛府廃止後はNHKに合流しNHK吹奏楽団となったが短命に終わった。しかしながら、一部の軍楽隊員自体は日本交響楽団(のちNHK交響楽団・N響)等に合流、中でも山口常光元陸軍軍楽隊長(元皇宮衛士総隊奏楽隊長)は警視庁音楽隊創設に参画し初代隊長に就任、須摩洋朔元南方軍軍楽隊長らは警察予備隊音楽隊、保安隊音楽隊を経た陸上自衛隊音楽隊創設に参画し、須摩は陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長に就任している。また、航空自衛隊音楽隊創設にも多くの元軍楽隊員が参画しており、航空自衛隊航空中央音楽隊長は初代(松本秀喜)から第4代(斎藤高順元陸軍軍楽上等兵)に至るまで、元陸軍軍楽隊出身者が務めている(また、松本と斎藤は退官後に警視庁音楽隊々長に就任)。

なお、1923年に軍縮によって廃止された第4師団軍楽隊は、同年に元軍楽隊員有志によって大阪市音楽隊(のち大阪市音楽団、現Osaka Shion Wind Orchestra)に改組されている。

出身者で「戸楽会(とがくかい)」が結成されている。
海軍1937年、南京攻略戦後、南京市内中山路を行進する海軍軍楽隊

海軍では鎮守府に軍楽隊を置くことが決められており、横須賀海兵団軍楽隊から隊員を派遣する形をとっていた。またこれとは別に、横須賀海兵団東京分遣隊が海軍軍楽隊の総本山であった。軍縮時代には舞鶴鎮守府が一旦閉鎖となり、軍楽隊も引き上げられたが、再度鎮守府が置かれた際に再び設置されている。練習艦隊や行事等で海外に派遣される軍艦には、選抜された隊員で組織された軍楽隊が乗り組み、諸外国を歴訪した。技量優秀な者は東京音楽学校に特修生として派遣され、より高度な教育を受けることが出来た。海軍においても吹奏楽のみならず、弦楽器に関する教育も行われ太平洋戦争敗戦まで教育が続けられ、ベートーヴェンの交響曲などもレパートリーにしていた。

敗戦による海軍解散後、横須賀海兵団東京分遣隊は山田耕筰らが中心となって組織された東京都音楽団に合流したが短命に終わった。この他、内藤清五元海軍軍楽少佐らが東京都吹奏楽団に合流し東京消防庁音楽隊創設に参画、また一部の軍楽隊員は海上自衛隊音楽隊創設に参画し、陸軍と同様に一部の軍楽隊員は日本交響楽団(のちNHK交響楽団・N響)等に合流している。

出身者で「楽水会(がくすいかい)」が結成されている。
終戦時の主な軍楽隊1944年(昭和19年)3月10日、陸軍記念日の式典において演奏中の陸軍戸山学校軍楽隊(右中央)
陸軍

陸軍軍楽隊(陸軍戸山学校軍楽隊)(東京)

関東軍軍楽隊(
新京

支那派遣軍軍楽隊(南京

南方軍軍楽隊(新)(サイゴン

第2総軍軍楽隊(広島

北支那方面軍軍楽隊(北京

第14方面軍軍楽隊(フィリピン

第16軍軍楽隊(ジャワ島

第23軍軍楽隊(広東省

第25軍軍楽隊(スマトラ島

第28軍軍楽隊(ビルマ

第29軍軍楽隊(マレーシア

南方軍軍楽隊は1944年10月、南方軍総司令部のマニラからサイゴンへの移転同行中、洋上で乗船が撃沈され隊長大沼哲少佐以下隊員25名が戦死したため後に再編されている(フィリピン防衛戦)。第29軍軍楽隊は日本人は隊長のみであり、残りは現地採用の楽器が使えるインド人や中国人などで編成されていた。
海軍

横須賀海兵団軍楽隊東京分遣隊

横須賀海兵団軍楽隊

呉海兵団
軍楽隊

佐世保海兵団軍楽隊

舞鶴海兵団軍楽隊

大阪警備府軍楽隊

支那方面艦隊司令部附軍楽隊(上海

第四艦隊司令部附軍楽隊(トラック島

南西方面艦隊司令部附軍楽隊(フィリピン)

南西方面艦隊司令部附軍楽隊は総員の3分の2が戦死・戦病死して生存者は隊長を含む11名のみであった(フィリピン防衛戦)。
階級1943年頃、南方軍軍楽隊長大沼哲陸軍軍楽少佐「日本軍の階級」も参照

終戦時の陸軍軍楽部・海軍軍楽科の階級は次の通り。
陸軍軍楽部

将校各部将校) - 陸軍軍楽少佐陸軍軍楽大尉陸軍軍楽中尉・陸軍軍楽少尉

准士官 - 陸軍軍楽准尉

下士官 - 陸軍軍楽曹長陸軍軍楽軍曹陸軍軍楽伍長

- 陸軍軍楽兵長陸軍軍楽上等兵

海軍軍楽科

士官(将校相当官) - 海軍軍楽少佐

特務士官 - 海軍軍楽特務大尉・海軍軍楽特務中尉・海軍軍楽特務少尉

准士官 - 海軍軍楽兵曹長

下士官 - 海軍上等軍楽兵曹・海軍一等軍楽兵曹・海軍二等軍楽兵曹

兵 - 海軍軍楽兵長・海軍上等軍楽兵・海軍一等軍楽兵海軍二等軍楽兵

著名な軍楽隊出身者陸軍戸山学校軍楽隊長永井建子陸軍二等軍楽長(中尉相当官)
陸軍

永井建子 - 陸軍戸山学校軍楽隊長。「道は六百八十里」・「元寇」・「雪の進軍」・「拓殖大学校歌」などを作曲。

古矢弘政 - 陸軍戸山学校軍楽隊長。


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