軍服_(満洲国)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

軍帽は、当初は官帽型のもののみ制定されたが、康徳4年5月の服制改正[4]により、俗に「平原帽」といわれる「第二種軍帽」が将校・将校相当官用の略帽及び軍士兵用の軍帽として制定され、従来の官帽型のものは「第一種軍帽」とされた。従って、この改正によって規程上は軍士兵用の官帽形軍帽が姿を消した。

帽章五芒星型で、満洲国の国旗同様の五色の七宝細工を施されたものが使用された。翊衛軍・禁衛隊に所属する者は星章の周りに高粱模様が付されたほか、康徳2年(1935年)8月の服制改正[5]により、憲兵の帽章にも翊衛軍・禁衛隊と異なった意匠の高粱模様が付された。また、海軍が康徳5年(1938年)11月に江上軍として陸軍に編入されたことに伴い、康徳7年(1940年)8月の服制改正[6]によって、江上軍に属する軍人の帽章は錨が下に敷かれた五色星章とされた。

装具については、巻脚絆[7]や襟布[8]など一部に仕様書が制定されてこそいたが、鹵獲品や旧軍閥時代の物などが雑多に使用されていた。

その後、軍の補給生産体制の整備に伴い、康徳5年1月に各種装具や寝具、腕章等の制式が定められた[9]。制式は概ね日本陸軍に近いが、作業衣の形状や軍士兵用巻脚絆の地質、背嚢の形状、臂章の色などに差異がある。

また、精勤章は黄色の山形である[10](日本陸軍は緋色)。

礼服は、大同3年(1934年)1月の服制改正[11]により軍官・軍佐の礼服制が定められた。その後康徳2年4月の服制改正[12]により、ヘルメット型であった礼帽が日本陸軍の正帽と同様のケピ帽型に改められた。

服装の種別については、満洲国陸軍の服装規程[13]では、日本軍の「正装」にあたるものを「礼装」と称し、以下、通常礼装、軍装、略装がある。
礼装[ソースを編集]

皇帝の陸軍式御服を着用した皇帝。皇帝の御服のみ「正装」の定めがあった。(愛新覚羅溥儀

陸軍中尉。愛新覚羅溥傑、1938年4月3日。

大同3年制式[11]の礼服を着用する将校団(前列右から2人目は日本軍の将校)。

将校団

「陸軍儀仗服服制」[14]に基づく礼服を着用する儀仗隊

康徳元年制定[15]の軍楽部礼服を着用した軍楽隊

軍装・略装[ソースを編集]

禁衛隊用の帽章が付いた第二種軍帽を着用した尉官(愛新覚羅溥傑)。

川島芳子

満洲国閣僚の軍人。

皇帝と陸軍中将(工藤忠)。

陸軍中将(?士廉)。

騎兵。演習の彼我識別のためか、軍帽に白帯を巻いている。

陸軍上将(大将)(于?山)

禁衛隊の兵士ら。

三年式機関銃の訓練を行う陸軍少兵(二等兵)。第二種軍帽を着用。

興安軍騎兵。

飛行隊の空中勤務者。

康徳7年に海軍を編制替えして発足した「江上軍」の軍服

海軍[ソースを編集]

海軍の服制は、基本的には旧日本海軍のものと同様であるが、一部分に差異がある。

すなわち、帽章の上部や襟章・肩章に付けられている桜花章が梅花章となっている点や、士官の正衣・軍衣に付いている袖章の環形部が分離している点などである。

このうち袖章の差異については、旧東北艦隊時代の服制の影響を受けたものである。

海軍服制は康徳2年3月[16]に制定され、その後康徳4年4月[17]に改正が行われている。

この改正では、従来銀色金属製打出しの梅花章であった士官軍帽の前章や士官の肩章を、五色七宝製梅花章に改めた。
正装[ソースを編集]

尹祚乾海軍中将(右)。左は陸軍大将礼装の張景恵軍政部大臣。

礼装[ソースを編集]
軍楽隊礼装[ソースを編集]
通常礼装[ソースを編集]
軍装[ソースを編集]

江防艦隊水兵

江防艦隊の下士官と水兵。

脚注[ソースを編集]^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13010028200、「満洲国軍政の指導 昭和9年8月1日」(防衛省防衛研究所) 第1章/第3節 満軍の整備
^ 康徳8年10月22日勅令第259号 陸軍武官及兵ノ等級ニ関スル件中改正
^ 康徳8年10月22日勅令第262号 陸軍服制中改正
^ a b 康徳4年5月12日勅令第85号 陸軍服制中改正
^ 康徳2年8月2日勅令第92号 陸軍服制中改正
^ 康徳7年8月29日勅令第214号 陸軍服制改正
^ 大同2年8月12日被技第7号
^ 大同2年12月9日被経第104号
^ 康徳5年1月18日治安部令第6号 陸軍服制第3条ニ依ル服制並ニ装具制式
^ 康徳3年11月11日軍令第1号 勤功章並ニ精勤章付与規則
^ a b 大同3年1月27日軍令第1号 陸軍服制中改正
^ 康徳2年4月1日勅令第23号 陸軍服制中改正
^ 康徳5年1月18日治安部令第5号 陸軍服装規程
^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13010359900、被服関係書類綴 住谷悌史資料 大同3年1月(防衛省防衛研究所)
^ 康徳元年3月31日勅令第23号 陸軍服制中改正
^ 康徳2年3月5日勅令第10号 海軍服制
^ 康徳4年4月30日勅令第64号 海軍服制中改正

根拠法令等[ソースを編集]

満洲国政府公報  ⇒大同元年12月28日第82号 軍令第9号「陸軍服制」 - 112?121コマ

満洲国政府公報  ⇒大同3年1月27日第321号 軍令第1号「陸軍服制中改正」 - 138?142コマ

満洲国政府公報  ⇒康徳元年3月1日号外 帝室令第7号「皇帝ノ御服ニ関スル件」・帝室令第8号「陸軍式御服正装制式」 - 27?30コマ

満洲国政府公報 康徳元年3月31日 第22号 勅令第23号「陸軍服制中改正」 - 137?140コマ(上記と同じファイル)

満洲国政府公報  ⇒康徳2年4月1日第314号 帝室令第10号「陸軍式及海軍式御服制式中改正」 - 11?13コマ

満洲国政府公報 康徳2年4月1日第314号 勅令第23号「陸軍服制中改正」 - 13?17コマ(上記と同じファイル)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef