梅津美治郎陸軍大将の誕生日は、軍人勅諭が下賜された明治15年(1882年)1月4日である。
戦争中に陸軍上等兵として中支の戦場にいた、後の戦記作家の伊藤桂一は、戦陣訓と軍人勅諭を比較して次のように述べている[10]。「戦陣訓」にくらべると、明治十五年発布の「軍人勅諭」は荘重なリズムをもつ文体で、内部に純粋な国家意識が流れているし、軍隊を離れて、一種の叙事詩的な文学性をさえ感じるのである。興隆してゆく民族や軍隊の反映が「軍人勅諭」にはある。「戦陣訓」を「軍人勅諭」と比較することは酷であるにしても「戦陣訓」にはなんら灌漑している精神がなく、いたずらに兵隊に押しつける箇条書が羅列してあるだけである。およそ考えられるかぎりのあらゆる制約条項を、いったい生身の兵隊が守れるとでも思ったのであろうか。ともかく「戦陣訓」には耗弱した軍の組織の反映があり、聡明なる兵隊はそれを読んだ時点で、すでに兵隊そのものの危機を予感したかもしれない。 ? 伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』新潮文庫、2008年(平成20年)
稲田朋美の防衛大臣辞任の要因となった自衛隊日報問題に際し、元外務省の佐藤優は「自衛官たちが二度とこのような行動をとらないように、自衛隊に軍人勅諭を暗唱させ、軍人勅諭の精神を叩き込んだほうがいいのではないでしょうか」と述べている。
脚注^ 日本法令索引
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秋月種樹『軍人勅諭写