軍事
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古代中国の戦略家孫武が著した『孫子』では、戦争がもたらすさまざまな弊害を認識した上で、可能な限り非軍事的手段によって目的を達成することを優先すべきであり、もし開戦したとしても不敗の態勢を確立した後に短期決戦で勝利すべきであると論じた[注釈 38]。このような戦略的思考は現代の研究者によって戦略の原点として参照されている。

軍事思想史において近代の戦略理論を体系化した戦略家として挙げられる人物は『戦争論』を著したクラウゼヴィッツである。クラウゼヴィッツが残した戦略学の業績とは政治に対する戦争の従属的関係を明らかにしたことである。理論的観点から見れば、戦争とは暴力行為であり、敵対関係の結果として戦争の暴力性は無制限に増大し続ける法則がある。つまり戦争の本来の目標とは敵の戦闘力を破壊することに他ならないと考えられる。しかし現実の戦争を観察すれば、戦争には常に政治的目的が与えられており、戦争の暴力性を合理的に調整することができることが分かる。しかも戦争計画を実施に移す際に直面するさまざまな不測事態や不確実性などの摩擦によって戦争行為は妨げられる。このようにクラウゼヴィッツが論じた戦略理論とは戦争の本質に立脚した理論であり、現代においても戦争の本性と政治目的に合致した軍事戦略の在り方を示している。

現代の戦略家として知られているイギリスの戦略家リデル=ハートはそれまでの戦略の概念をより包括的な概念として発展させた。彼の著作『戦略論』では大戦略の概念と間接アプローチ戦略の概念が提唱されている。大戦略とは政治目的を達成するために軍事的手段を適用する技術であり、軍事戦略の上位に立った包括的な戦略の概念として整理される。大戦略の概念によって戦争を軍事作戦の成否だけではなく、より総合的な観点に基づいて戦争を指導することの意義が戦略理論に表現されることになった。さらに間接アプローチ戦略は敵軍に対して直接対決することを回避し、敵の弱点に対して接近する戦略の理念である。ここでの敵軍の弱点とは物理的な戦力が希薄な方面であるだけでなく、心理的な警戒が希薄な方面を指す用語である。リデル=ハートは優勢な戦力を以って正面から敵を圧倒するのではなく、このような戦略的な機動を重要視していた[16]。リデル=ハートの戦略理論には導入された大戦略の概念や間接アプローチの軍事思想は最小限の戦力で戦争に勝利することの可能性を示している。
戦術

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詳細は「戦術」および「作戦」を参照

戦術 (Tactics) とは戦闘において戦闘力を効果的に運用するための科学、または技術であると考えられている[注釈 39]。その作戦の形態の相違から戦術学では陸軍の戦術、海軍の海戦術、空軍の航空戦術に分類されて研究される。どれほど優れた戦略であっても、その実行には優れた戦術をも必要とする。戦闘を効率的に指導するためには優勢な戦力を投入するだけではなく、それら戦力を状況に応じて適切に運用することの重要性が知られている。戦術の黎明期においては戦闘隊形の重要性や戦場機動の方式が研究されていなかった。しかし古代ギリシアのファランクスと呼ばれる歩兵の密集隊形を活用した戦闘法が導入され、また騎兵部隊が決定的な打撃力として戦場に登場すると戦闘陣形の選定や防御戦闘と攻撃戦闘の連携などの戦術的な選択肢が広がることになった。

劣勢でありながらも優れた戦術家の力量によって勝利した有名な戦史がある。マケドニアの国王アレクサンドロス3世(大王)はその戦術家の一人であり、ペルシア遠征でのガウガメラの戦いにおいてはペルシア軍に対して劣勢でありながらも敵部隊を誘致することで敵中央の戦力を希薄化させ、その地点に対して突破を実施したことで勝利することができた。またポエニ戦争においてはカルタゴの将軍ハンニバルカンナエの戦いで采配を発揮し、優勢なローマ軍に対して歩兵部隊の防御戦闘と騎兵部隊の包囲機動を組み合わせて模範的な包囲殲滅を実践してみせた。またプロイセンの国王フリードリヒ2世七年戦争ロイテンの戦いで優勢なオーストリア軍の横陣に対し、地形で部隊を隠匿しながら迅速に側面に接近し、側面攻撃をしかけることで勝利することができた。ナポレオン戦争ではフランスの国王ナポレオン1世は優勢なオーストリア軍とアウステルリッツの戦いで衝突したが、意図的な防御と後退行動を組み合わせて敵部隊を誘致した後にその中央を突破することで勝利を収めた。これらの戦史はいずれも戦力の劣勢を運用によって補っており、またその実施が成功したことから戦術的に高く評価されている。

スイスの軍人アントワーヌ・アンリ・ジョミニが『戦争概論』で示した戦術理論の体系は近代における戦術学の起源として示すことができる。なぜならば、ジョミニは戦場での勝利にとって不可欠な行動の原則が戦術には存在すると捉えることで、その原則をさまざまな戦闘状況に適用する方法を理論化した。ジョミニの学説は世界各地の士官学校の教範類で採用されており、戦力の集中や戦場での機動などの原則に関しては戦術学の基礎知識として普及した。このような原則はイギリスの軍人ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーによってさらに発展させられ、目的、主導、統一、集中、機動、節約、警戒、奇襲、簡明から成る戦いの諸原則として整理された。戦術的な戦闘行動である攻撃防御についても、攻撃が主導的で能動的な戦闘行動である一方で戦力の消耗が激しく、逆に防御は従属的で受動的な戦闘行動でありながらも、消耗が少ないなどの特性が明らかにされていった。そして戦術研究が進むにつれてさらに戦闘陣形や戦闘行動を表す戦術用語や戦術的決心に求められる状況判断の思考法が確立されていった。
兵站詳細は「兵站」および「後方支援」を参照

兵站とは作戦中の部隊の活動を後方から支援する方法であり、具体的には物資の補給、兵器の整備、輸送の管理、衛生業務などの業務を指す。兵站は古来から戦争の勝敗を左右する重大な考慮事項であり、その基本的問題とは後方における根拠地の補給物資により、後方連絡線の輸送力を通じて、前線における部隊の補給所要を充足させることである。しかし根拠地での補給物資の不足、敵による後方連絡線の遮断、戦闘での戦力の消耗の増加などによって兵站の現実はより複雑である。したがって兵站とは単なる輸送計画ではなく、融通性、継続性、強靭性、効率性、創造性が求められる活動であると捉えなければならない。戦争において生じる不測事態に兵站は臨機応変に対処しなければならず、敵の妨害に直面してもその活動を維持しなければならない。さらに兵站問題として有限な物資を部隊にどのように配分するかという効率化の問題もある。


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