この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月)
戦争法とは戦争行為を規制する戦時における国際法である。これは今日では武力紛争法や人道国際法とも呼ばれる場合がある。現実主義の立場に立つならば、戦争は本質的には道徳や法律によって規制することはできるものではない。したがって戦争法が存在する価値を認めることはできないものである。しかしながら、国際政治学におけるもう一つの立場である理想主義に立脚するならば、戦争は決して許容できないものである。このような考え方は人文主義者エラスムスが『平和の訴え』において「およそいかなる平和も、たとえそれがどんなに正しくないものであろうと、最も正しいとされる戦争よりは良いものなのです」と論じたことで表現される[7]。戦争を回避するためにあらゆる戦争行為は禁じられなければならない。しかしこの現実主義と理想主義のような全面的な肯定と否定の間に立つもう一つの立場がある。それは国際法学者フーゴー・グロティウスが「二つの極端な説に治療を施し、なにも許されないとか、すべてが許される、などと信じ込むことがないようにしなければならない」と表現した、条件付きで戦争行為を許容する立場である[8]。その条件を法的理論として発展させたものが戦争法であると言える。
戦争法には開戦法規と交戦法規という二つの基本的な部門がある。開戦法規とはどのような場合において戦争を開始することができるのかを定めた法であり、交戦法規はどのような手段によって戦争を遂行することができるのかを定める法である。開戦法規に関しては主権国家は政策の手段として戦争に訴える権利を持っていたが、1929年の「戦争放棄ニ関スル条約」によって武力行使の違法化が進み、現在では国連憲章の下で他国の領土保全や政治的独立に対する武力行使や国連の国際平和の維持するという目的と相反する武力行使を違法化した。もし国家が侵略を受けた場合には個別的、集団的自衛権を行使して防衛することができるが、同時に国連は侵略国に対して集団安全保障に基づいて武力制裁を含めた制裁措置が可能である。ただし自衛権を行使する判断は国家が判断することができるが、国連が制裁措置を行う場合には安全保障理事会による決議が必要であり、常任理事国の全員の同意が必要である。
交戦法規に関しては、もともとは騎士道の規範に基づいて非人道的な殺戮・破壊活動を規制していたが、近代の軍事技術の発達によって戦闘の様相が変化すると新しく交戦法規を確立しなければならなくなった。交戦法規の一般的な原則は効率性と人道性の均衡ある両立であり、これは攻撃目標を選定する場合において、任務の達成のために市街地と軍事基地の二つが選択可能であるならば、不必要な犠牲が出る可能性がより少ない軍事基地を攻撃するべきであるという原則である。交戦法規の大系においては攻撃目標や攻撃禁止目標、合法的な戦闘手段や方法、非戦闘員の保護、中立国の権利保護などの細目があり、これらの規則は作戦行動において指揮官の責任を以って遵守しなければならない。この戦時国際法に対する違反があり、その行為の責任者がいる場合には、戦争犯罪として裁かれなければならない。1990年代に戦争犯罪への措置は強化され、ボスニア・ヘルツェゴビナで非人道的な紛争が発生した際には国連安全保障理事会は国際裁判所を設立して戦犯を裁き、1998年には常設の国際刑事裁判所既定が国連の外交会議で採択された。
軍事システム
国防詳細は「国防」を参照
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