軍事
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

戦争において国家は敵の軍事力によって安全を脅かされる事態に直面するのであり、それは領土や都市の破壊と占領、国民の生存とその財産所有権の侵害、政治的自由や独立の制限などの方法で行われる[注釈 10]。同時に戦争は社会現象の中でも特に分析が難しい複雑な主題の一つであり、戦闘などの軍事的な出来事だけで生じるのではなく、対外政策や国内での政治過程などの政治的文脈に基づいて生起するものである。しかもその展開においては戦時特有の動員や生産などの経済的要素、国民心理などの社会的要素と関連するものである。しかも戦争は敵国と自国の相互作用によって生じた結果であるため、戦争において最適な意思決定が何であるかを明確に理論化することはできない[注釈 11]。つまり重大な戦争の原因とその実態を理解するためには、その複雑性を概観できる理論的な把握が必要となる。

プロイセンの軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』において戦争の一般理論を構築した戦略家である。彼は二人の間での決闘に戦争をなぞらえた上で、戦争とは「敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」と説明しようとした。そして戦争において生じる暴力は相互作用によって無制限に極大化する法則があることを明らかにした上で、そのような戦争を絶対戦争として定式化した。絶対戦争では軍事的な合理性の下であらゆる事柄が徹底的に合理化され、最大限の軍事力が敵を殲滅するために使用されることになる。ただし戦争は単に軍事において完結する現象ではないことにクラウゼヴィッツは注意を払っており、この絶対戦争のような形式が現実に起こっている戦争とは異なることを認識していた。つまり戦争は固有の法則に従って無制限に暴力性を高めるだけではなく、その戦争行為を制限することができる政治的目的を伴うものである。戦争の発生には必ず外交的または経済的、心理的な情勢が起因しており、あらゆる戦争は政治的目的を究極的には達成しようと指導されるものである[5]。このクラウゼヴィッツの戦争理論は「戦争は他の手段を以ってする政治の継続である」と理解されており、戦略研究では広く参照されている。

しかし現代の戦略研究ではクラウゼヴィッツが前提としていた主権国家による戦争が戦争の全てではないことが分かっている。非国家主体によって戦争が遂行される可能性を提唱したのは社会主義の政治イデオロギーを掲げて革命戦争を指導したマルクス主義者たちであった。レーニンはクラウゼヴィッツが定式化した戦争と政治の関係を再解釈し、政治を武力によらない戦争、戦争を武力による政治であると捉えて革命戦争の理論に適用した。このことでパルチザン部隊による戦争の形態が成立することになり、国家と国家の戦争という図式は陳腐化することになった[注釈 12]。またクラウゼヴィッツに対する批判を展開する戦略研究者のマーチン・ファン・クレフェルトは『戦争の変遷』において戦争の歴史的事例に基づいて理論を構築している。クラウゼヴィッツの戦争理論での国家の前提は政府軍隊国民から成立している三位一体の戦争モデルであったが、クレフェルトは非三位一体の戦争が存在することを指摘しており、したがってクラウゼヴィッツの理論が主権国家による戦争に限定されたモデルであると論じている。つまり必ずしも戦争は理性的な政治の延長ではなく、むしろ宗教正義などの価値観を実現するための手段として行われているものと考える[注釈 13]
総力戦詳細は「国家総力戦」を参照

総力戦 (Total war) とは戦争が採りうる形態の一つであり、軍事力の行使だけでなく、軍事力を支える経済的基盤を構成する工業生産力や労働力の総動員、民間人の全国的な戦争協力、そして戦争遂行を正当化するためのイデオロギーや思想の宣伝活動などを伴うような、国家の総力を挙げる戦争遂行の形式である。このような概念を提唱したのは第一次世界大戦で敗北したドイツ軍を指導した軍人エーリッヒ・ルーデンドルフであった。ルーデンドルフは著作『総力戦』の中で第一次世界大戦を契機に戦争の主体が政府と軍隊だけではなく民衆を巻き込んで遂行される形式へと変化したことを指摘し、これを総力戦と命名した[注釈 14]。総力戦の概念の画期性とは従来の戦争が戦場での軍事行動で完結していたものから、銃後の経済活動や生活までもが軍事行動と結び付けられたことである。したがって、総力戦においては海上封鎖戦略爆撃のように敵の経済活動を破壊するための行動が継続的に行われ、また敵の抗戦意志を減耗させるためにラジオビラなどのマスメディアを利用した思想宣伝を実施する。これらに対抗するために経済活動は政府により統制され、人員や物資、情報などは軍事作戦を支援するために配分、管理される。ルーデンドルフは特にドイツ敗戦を招いた原因として革命運動を指示するような思想的要因を重要視しており、国民士気の低下はドイツ軍の士気そのものに悪影響を及ぼしていたと述べている。そのために総力戦を遂行するためには総力政治が不可欠であると主張している。総力政治は総力戦に関わるあらゆる要素を統制する機能を担っており、単独の指導者によって総力政治は実践されなければならない。つまり総力戦とは従来の武力紛争だけではなく、経済紛争や情報紛争が結合した複合的な戦争のあり方であり、核兵器が存在する現代においては核戦争を意味するものである。
制限戦争詳細は「限定戦争」を参照

制限戦争 (Limited war) とは軍事力を抑制的に行使することで、戦争のエスカレーションを制御することを可能とする戦争の形態の一種である。アメリカの外交官ヘンリー・キッシンジャーは『核兵器と外交政策』このような戦争を「特定の政治目的のため(中略)相手の意志を押しつぶすのではなく、影響を及ぼし、課せられる条件で抵抗するより魅力的であると思わせ、特定の目標を達成せんとする」戦争と描写した。つまり限定戦争の主眼とは、軍事力だけで敵に我の意志を全面的に強制するのではなく、外交交渉を交えながら軍事作戦を遂行することで、目標を達成する手段として戦争の規模や程度を抑制することにある。キッシンジャーは核兵器の登場によって戦争そのものが遂行不可能になるという見解を退け、この限定戦争に基づいた限定核戦争という戦争方式を提唱した[6]。事実、核兵器が登場してからも朝鮮戦争インドシナ戦争などの戦争が勃発しており、これらは限定戦争の形式に則って遂行されている。限定戦争を成り立たせている外交は通常の外交と区別されており、アメリカの政治学者アレキサンダー・ジョージなどの研究者たちによって強制外交と呼ばれている[注釈 15]。強制外交が敵との間で成立するためには、彼我双方にとって軍事行動に伴う損害を抑制する意図を共有しなければならず、戦略防勢の立場を採るために作戦の主導権を喪失する危険が伴うが、総力戦と比べて最小限の費用と危険で目的を達成する選択肢とされている。
ゲリラ戦争詳細は「ゲリラ」および「革命」を参照

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月)

ゲリラ戦争(Guerrilla Warfare)[注釈 16]または革命戦争とは本質的に国家に対する非国家主体により遂行される戦争の形態である。このような戦争の形態が成立した背景にはマルクス主義を指向する政治運動があり、ロシア革命キューバ革命国共内戦などの革命が勃発したことで、ゲリラ戦争のあり方が研究されてきた。革命家でありながらゲリラ戦争の理論を確立した毛沢東はゲリラ戦争には正規軍によって遂行される在来戦争とは異なる背景を持った固有の領域があることを指摘し、『遊撃戦論』でこの問題を論考している。ゲリラ戦争の特徴とは戦略防勢の立場に置かれながらも、分散された小規模な部隊による急襲で敵に連続的に損害を強いることで戦争そのものを主導することにある。したがって、ゲリラ戦争において短期決戦は発生せず、決戦を想定した戦闘部隊は必ずしも優位ではなくなる[注釈 17]。革命家チェ・ゲバラは『ゲリラ戦争』においてゲリラ戦争を成立させるための戦略と戦術について論じている。そこでは負ける戦いを避け、常に遊撃し、敵から武器を略取し、行動は秘匿し、奇襲を活用するというゲリラ戦の原則が示されている。ゲリラ戦争は戦略的には防勢に置かれるが、しかし一撃離脱を繰り返すゲリラ戦士は決して包囲殲滅されることはないために、戦争の主導権を維持することができる[注釈 18]
戦争法詳細は「戦時国際法」を参照

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月)

戦争法とは戦争行為を規制する戦時における国際法である。これは今日では武力紛争法や人道国際法とも呼ばれる場合がある。現実主義の立場に立つならば、戦争は本質的には道徳法律によって規制することはできるものではない。したがって戦争法が存在する価値を認めることはできないものである。しかしながら、国際政治学におけるもう一つの立場である理想主義に立脚するならば、戦争は決して許容できないものである。このような考え方は人文主義エラスムスが『平和の訴え』において「およそいかなる平和も、たとえそれがどんなに正しくないものであろうと、最も正しいとされる戦争よりは良いものなのです」と論じたことで表現される[7]。戦争を回避するためにあらゆる戦争行為は禁じられなければならない。しかしこの現実主義と理想主義のような全面的な肯定と否定の間に立つもう一つの立場がある。それは国際法学者フーゴー・グロティウスが「二つの極端な説に治療を施し、なにも許されないとか、すべてが許される、などと信じ込むことがないようにしなければならない」と表現した、条件付きで戦争行為を許容する立場である[8]。その条件を法的理論として発展させたものが戦争法であると言える。

戦争法には開戦法規と交戦法規という二つの基本的な部門がある。開戦法規とはどのような場合において戦争を開始することができるのかを定めた法であり、交戦法規はどのような手段によって戦争を遂行することができるのかを定める法である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:104 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef