軌間
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一方、軌道を支える路盤の強度や橋梁の設計は、走らせる列車の重量(軸重)や速度によって決定され、軌間にはほとんど影響されない[44]

2001年南アフリカハウトレイン建設の際に行なわれた試算では、1 kmあたりの建設費は標準軌(1435 mm)の場合180万ランドであるのに対し、ケープ軌間(1065 mm)であれば160万ランドと見積もられた。この差は枕木とバラストによるものであり、事業全体のコストに比べればそれほど重要ではないと評価された[68]

なお、実際に2140 mmもの広軌を使っていたイギリスのグレート・ウェスタン鉄道では上記の問題から枕木を倹約するため、通常のレールのように枕木を並行に無数に並べ、その上に直角にレール2本を置くのではなく「レールに沿うように切れ目なく枕木を敷いて(つまり鉄のレールの下に木のレールがあるような外見)重量を分散させ、その枕木を約10フィートおきに横木で結び、ずれないように固定する。」という独特の敷き方を行っていた[69]
軌間と直通運転
直通の可否

一般に鉄道車両は特定の軌間に合わせて製造されている。車輪の内側にはフランジがあるため、両側の車輪のフランジの間隔より狭い軌間の線路に乗り入れることは不可能である。また軌間が大きすぎる場合にも脱線してしまう[70]

しかし、車輪にもレールにもある程度の幅があるため、軌間の1 %程度の差異であれば直通運転にはほとんど支障がない。フィート・インチからメートル法へ単位系の切り替えの際の考え方の違いなどで、1067 mmと1065 mm、1524 mmと1520 mmのような数ミリメートル異なる軌間が存在するが、これらは実用上は同一軌間とみなしうる[71]19世紀アメリカ合衆国では、4フィート8.5インチ(1435 mm)軌間用の車両がそのまま4フィート10インチ(1475 mm)軌間の鉄道に乗り入れていた例もある。この場合、脱線の危険が増すものの、当時の安全水準からはそれほど問題とはされなかった[71]
故意の異軌間採用
軍事的理由

ロシア帝国スペインの鉄道がヨーロッパの他地域と異なり広軌を選択した理由として、ナポレオン戦争の記憶から他国に侵略された場合に鉄道を利用されることを恐れたためと説明されることがある。しかし、両国が軍事的理由で軌間を選んだとする記録は存在しない。両国とも、鉄道が開業したのは1830年代から40年代の広軌優位論が盛んであった時代であり、軌間を検討した技術者は4フィート8 1/2インチよりも広い軌間のほうが優れていると主張した。また、将来他国の4フィート8 1/2インチ軌間の鉄道と接続される可能性については軽視している[72][73][74]

ロシアが侵略に備えて異軌間を選んだとする説の初出は、1866年にイギリスのタイムズ紙に掲載された特派員報告[注釈 10]で、伝聞の形で伝えている。また、ロシア交通省は1841年の報告書で、鉄道が敵に利用される可能性について、軍が退却する時に線路を破壊すればよいと記しているが、軌間の違いには言及していない[72]

また、他国の侵入防止目的説の最大の問題点としてこれらの国が広軌を採用している点があり、軌間は狭める方が楽[注釈 11]であり、実際に日本が日露戦争中に満洲にあった5フィート軌間のロシアの鉄道(後の満鉄など)を改軌して3フィート6インチにしてしばらく使用していたケースがあるので、仮想敵国より軌間を狭くしないとこの目的には使用できない[14]

スペインにおいては、1856年フランス国境近くの鉄道にフランス人が出資しようとしているのが国防上問題視された際に、経営者が軌間が違うため侵略に使われることはないと回答したのがおそらく初である[73]

また、隣国と異なる軌間を用いることは、敵に攻められた場合には有利でも、逆に攻め込む場合には不利になる。実際ロシアは露土戦争の際ルーマニア公国を経由してオスマン帝国に攻め込んだが、ルーマニアの鉄道は標準軌だったため、国境で貨物を積み替える必要が生じ兵站上の大きな問題となった[75]第一次世界大戦の序盤においても、ドイツ領東プロイセンに侵攻してからは鉄道を使うことができなかった。これがタンネンベルクの戦いの敗因の一つとなった[76]

なお、プロイセン王国においては、フランスやベルギーと同じ軌間を使うことについて、一部の高官が侵略に用いられる可能性があると反対したが、退けられている[77]
その他

鉄道会社の経営上の理由から、あえて他鉄道と異なる軌間を採用したと考えられる例は存在する。

1841年に開業したアメリカ合衆国のニューヨーク・アンド・エリー鉄道(後のエリー鉄道)は、アメリカ合衆国北東部で一般的であった4フィート8.5インチ軌間ではなく、6フィート軌間を採用した。これはエリエイザー・ロード社長の意向によるところが大きい。ロードはニューヨーク・アンド・エリー鉄道の設立にあたって、顧客が他の鉄道に逸走することのないように、同鉄道を他の鉄道と接続させないとする免許を得ていた。しかし免許条件は将来変更される可能性があるが、軌間は容易には変更できないとして、他鉄道と異なる軌間を採用した。もっとも、1845年のロード社長の退任後は、軌間の違いはむしろ経営上不利であるとして、しばしば株主から批判を受けている[78]

また、1853年に開業したアメリカ合衆国メイン州ポートランドカナダモントリオールを結ぶ鉄道[注釈 12]は、5フィート6インチ軌間を選択した。その理由の一つが、ポートランド側の出資者の意向によるものである。ポートランド港はボストン港と競合関係にあるため、この鉄道を利用したカナダからの貨物がボストンに奪われないように、ボストン周辺の鉄道とは異なる軌間にしたのである。ただし、こうした事情はモントリオール側の出資者には無縁のことであり、広軌が技術的に優れているという当時の風潮のほうがより影響したと思われる[79]
軌間不連続点への対応

異なる軌間の鉄道が接続する地点を軌間不連続点(英語版)という。通常は列車は軌間不連続点を越えて走行することはできない。これに対して様々な対処法がある。
乗り換え・積み換え第一次世界大戦西部戦線における標準軌列車から軽便鉄道への貨物の積み換え

最も簡単な対策は、軌間不連続点において旅客の乗り換え、貨物の積み換えを行なうことである。

これには特別な設備は何も必要としない。ただし、旅客の乗り換えの負担を減らすために対面乗り換えが行われることがある。貨物の場合も、異軌間の線路を並べてその間で積み換えが行えるようにすることがある。また、規格化されたコンテナ(一般的にISO 668で定められたサイズのISOコンテナ)を用いることで効率的に積み換えを行なうことができる[80]
ロールワーゲン、ロールボック狭軌用ロールワーゲンに搭載された標準軌貨車詳細は「ロールワーゲン」および「ロールボック」を参照

軌間の異なる鉄道車両を搭載するための貨車をロールワーゲンという。また輪軸部分のみを載せるようにした小さな車両をロールボックという。これらは20世紀初め頃までにヨーロッパで標準軌の貨車を狭軌の路線に直通されるために用いられるようになった[81]

しかし、ロールワーゲンやロールボックを使うと車両の重心が高くなってしまうため、特に標準軌の車両を狭軌線に乗り入れさせる場合には極めて不安定になってしまい、低速でしか運転できないという欠点がある[81]
輪軸・台車交換ロシア・中国国境における台車交換作業

軌間不連続点を越えて貨車や客車を直通させるため、接続駅で台車をそれぞれの軌間に対応したものに交換する。台車交換の方法には、クレーンジャッキを使って車体を持ち上げるものと、車体の高さを固定した上でレールの側が沈み込んで台車を取り外すものがある。

1870年代の北アメリカで実用化された[82]。現代でも旧ソビエト連邦の広軌鉄道と東ヨーロッパ中国などの標準軌鉄道の間の直通などに用いられている。


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