足利満兼
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^ 鎌倉時代の足利氏歴代当主および鎌倉公方家で代々使用されてきた「氏」の字と義満の片諱の併用が、父・氏満と同様になるため「氏」の字は避け、祖先にあたる足利義兼(足利氏第2代当主)より1字を取った。こちらも参照のこと。
^ 満兼の挙兵の目的は「天命を奉じて暴乱を討ち、まさに国を鎮め民を安んぜしめんとす」だった(『寺門事条々聞書』)。田辺久子『人物叢書 上杉憲実』吉川弘文館。42頁。
^ 満兼はあくまで義満の援軍と称しており、武蔵に滞在して様子見していたという。『鎌倉・室町人名事典』24頁。
^ 義満は関東の出兵に対して憲定に応永6年12月2日付で書状を出して詰問した。これに対して憲定は心配ない旨を回答した(『上杉家文書』)。なお、憲定はこの時期は正式には関東管領ではない。憲定は武蔵に在陣する満兼をしきりに諫言した。田辺久子『人物叢書 上杉憲実』吉川弘文館。42頁。
^ 願文では自らの力量不足で天命がかなわなかったことを嘆いている。『鎌倉・室町人名事典』24頁。
^ 史料によっては満直を稲村御所、満貞を篠川御所としているものもある。
^ 安土桃山時代に活躍した伊達藤次郎政宗と同名の別人。藤次郎政宗はこの政宗の8代目の子孫にあたる。
^ 『鎌倉・室町人名事典』24頁。田辺久子『人物叢書 上杉憲実』吉川弘文館。42頁・43頁。
^ 田辺久子『人物叢書 上杉憲実』吉川弘文館。43頁。
関連書籍
田辺久子「関東公方足利氏四代 基氏・氏満・満兼・持氏」吉川弘文館 2002年発行。 ISBN 978-4-642-07789-7
田辺久子『人物叢書 上杉憲実』(吉川弘文館 ISBN 4-642-05215-1)
『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社)
関連項目
応永の乱
表
話
編
歴
鎌倉公方
鎌倉公方
足利義詮1336-1349
足利基氏1349-1367
足利氏満1367-1398
足利満兼1398-1409
足利持氏1409-1439
足利成氏1449-1455
古河公方
足利成氏|足利政氏|足利高基|足利晴氏|足利義氏
小弓公方
足利義明
関連項目
堀越公方|宮原家|喜連川家・喜連川藩
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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