足利氏
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孫の義兼と源頼朝が縁戚関係にあって従弟であったこともあり、義兼は早くから幕府に出仕、その血縁もあって頼朝の声がかりで北条時政の娘を妻にして以来、前半は北条得宗家と、幕政後半は北条氏の庶流でも有力な一族と、幕府を率いる北条氏との縁戚関係が幕末まで続いた。また、官位などの面においても、足利氏当主の昇進は北条氏得宗家の次に早く、後に北条氏庶家並みになるものの、それも彼らの昇進が早くなったことによるもので、足利氏の家格の下落によるものではなく、依然として北条氏以外の御家人との比較では他に群を抜いていた。また、足利氏は平時においては鎌倉殿(将軍)への伺候を、戦時には源氏の門葉として軍勢を率いることで奉仕した家柄であった。特に北条氏にとっても重大な危機であった承久の乱で足利義氏が北条泰時・北条時房を補佐する一軍の将であったことは、北条氏にとっても嘉例として認識され、足利氏を排除する意図を抑制することになった[6]。その結果、源氏将軍断絶の後、有力御家人にして源氏の有力な一流とみなされるようになっていた。そのため、幕末の後醍醐天皇の挙兵に際して、足利氏の帰趨が大きな影響を与えた。
北条氏との関係詳細は「北条氏#北条氏による一字付与について」を参照

鎌倉期の嫡流家の歴代当主の北条氏得宗家当主の偏諱通字の「氏」で構成されており[7]、具体的には、泰氏外祖父北条泰時[8]頼氏北条時頼[8]貞氏北条貞時[9]、貞氏の三人の息子(高義高氏高国)が北条高時[10]からそれぞれ偏諱を受けた。

また、義兼が頼朝の妻北条政子の同母妹である北条時子を妻に迎えたのをはじめとして、代々北条氏と縁戚関係を結んでいた。具体的には、義氏は北条泰時の娘[注 1]を、泰氏は北条時氏の娘[注 2]を、頼氏は佐介時盛の娘を、家時は常盤時茂の娘を、貞氏は金沢顕時の娘・釈迦堂殿を、高氏は赤橋久時の娘・登子を、それぞれ正室に迎えた[11]

このように足利氏の歴代当主は、代々北条氏一門の女性を正室に迎え、その間に生まれた子が嫡子となり、たとえその子より年長の子(兄)が何人あっても、彼らは皆庶子として扱われ家を継ぐことができないという決まりがあった[8]が、正室(北条時盛の娘)が子を生む前に早世した頼氏の跡は、その庶子であった家時(貞氏の父、母は上杉重房の娘)が家督を継いだ。家時に「氏」が付かないのはこのためであるようだ[8]が、代わりに用いられた「時」の字は北条氏の通字であり、やはり北条氏から偏諱を受けたものであるとみられる[12]

貞氏(家時の子)の長男・足利高義の名にも「氏」が用いられておらず、2文字目に清和源氏通字である「義」の字が使われている背景にはこの当時の足利氏と北条得宗家の良好な関係の象徴であり、得宗家が足利氏の将軍および得宗家への忠節と引換に「源氏嫡流」として認められたとする見方がある(→「門葉」)[7]。しかしこの高義も早世したので、家時の時と同じように、庶子であった次男の高氏(尊氏)が最終的に足利氏宗家を継いだのである。

ちなみに、泰氏の父・義氏の「義」の字に関しても同様の考えで北条義時から賜ったと考えることもできなくはないが、それについては現状の研究では言及されておらず、ひとまずは前述の清和源氏より続く、義氏までの足利氏の通字とみなすのがよいと思われる。
南北朝時代

尊氏は当初後醍醐天皇の建武の新政に参加したが、中先代の乱を機に、建武の新政から離反した後、光明天皇から征夷大将軍任じられ京都室町幕府を開いた。

尊氏は庶流である諸氏を諸国の守護などの要職に任じている。庶流の中でも、吉良氏斯波氏渋川氏などは、歴代足利宗家当主の庶兄を祖とし、宗家から独立した鎌倉幕府御家人(別流の足利氏)として認められて、任官もしており、足利氏宗家は彼らに対して未だ嫡流としての地位を十分に確立できていなかった。

南北朝の動乱下にあって、急激に力を持つに至った足利氏一族は必ずしも、宗家当主(尊氏・義詮)の意向に忠実とはいえず、宗家に対する反乱や南朝につく離反などが相次いだ。尊氏は、正室所生で早逝した足利高義の庶弟で、本来、足利宗家の家督を継承する立場になかった、という上述の事情も存在した。足利一族の一人である今川貞世が『難太平記』の中で祖父(今川基氏、今川氏2代目当主)以前の歴史を十分に知らないことを告白するとともに[注 3]、幕府成立後も一族内に尊氏の系統を宗家嫡流であることを認めない者がいたこと[注 4]や今川氏が他の庶流と違って宗家に忠実であったことを主張している[13]


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