足利市
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足利市中心部を流れる渡良瀬川足利市中心部周辺の空中写真。市街地の中央を北西から南東方向へ渡良瀬川が流れる。2023年1月20日撮影の40枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある。旧足利郡と旧群馬県山田郡の一部から成る。地方拠点都市

古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼びルイス・フロイス が日本全国で唯一の大学と記した足利学校がある。
概要

栃木県南西部に位置する安足地区の中心都市。1921年大正10年)1月1日足利郡足利町が栃木県内2番目・県南部で初めて市制施行。2021年(令和3年)1月1日、市制施行100周年を迎えた。隣接する群馬県桐生市とともに織物業が盛んで、足利銘仙の産地として知られる。人口は約14万千人で栃木県内第4位。昭和後期から平成前期までは県南部で人口最多の市であった。県南地域の佐野市栃木市小山市とともに栃木県南部地方拠点都市地域の中心都市に指定されている。

市内に史跡美術館が多く、本庁地区に足利学校鑁阿寺足利市立美術館草雲美術館富田地区栗田美術館あしかがフラワーパークがあり、2010年平成22年)は330万9千人だった観光客入込数が2015年(平成27年)には394万5千人に増加している。平成年間の観光客入込数は増加傾向にあり、2018年(平成30年)には508万3千人に達した。2019年令和元年)は486万2千人で、県内第6位の観光客入込数となった[3]。南部の御厨地区に旧日光例幣使街道八木宿跡があり、両毛地域民謡である八木節の名の由来となっている。

2015年(平成27年)4月、聖廟および附属建物を含む足利学校跡、足利学校遺蹟図書館の蔵書である『礼記正義』・『尚書正義』・『文選』・『周易注疏』、孔子の祭である釈奠が、水戸市の旧弘道館備前市の旧閑谷学校日田市咸宜園跡などとともに「近世日本の教育遺産群?学ぶ心・礼節の本源?」の名で日本遺産に認定された[4]

足利家歴代当主の宗廟があった法界寺跡(樺崎寺)や、室町幕府三代将軍・足利義満が再興した浄因寺や、初代将軍足利尊氏が崇拝した日本三大毘沙門天の一つである大岩毘沙門天など足利氏ゆかりの寺が多い。京都市鎌倉市に似た景観を待つことから、「東の京都」、「北の鎌倉」と呼ばれている。足利市は全国京都会議に加盟しており、足利市と鎌倉市姉妹都市の提携を行なっている。
地理

市の北部に足尾山地、南部に関東平野が広がり、中央部を渡良瀬川が流れる。山地平野の接点に位置する。市役所(本城三丁目2145番地)の海抜は34.54m。群馬県前橋市から南東に約35km、栃木県都宇都宮市からは南西に約45kmの場所に位置する。

隣接する佐野市(人口約11万5000人)、桐生市(人口約10万5000人)、太田市(人口約22万2000人)、館林市(人口約7万4000人)とともに両毛地域の都市核であり、県都である宇都宮市よりも群馬県東部地方との経済的・文化的繋がりが深い。特に桐生市・太田市との関係は県境を跨いで密接であり、太田市とは平成の大合併において一時期、越境合併の話もあがった。旧小俣町葉鹿町は桐生織物組合に加盟していたことがあり、小俣町は桐生市外十四箇町村医療事務組合にも加盟していた。
隣接自治体

栃木県

佐野市


群馬県

桐生市

太田市

館林市

邑楽郡邑楽町


歴史

下野国足利荘は清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地で、平安時代末期には足利義兼源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。鎌倉時代足利尊氏後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。足利義康の時代からの産地として有り、近世近代において織物業が発達した。足利学校は学生数約3000人と記録されるほど盛況を迎え、室町時代には関東の文化の中心地として栄えた。

1947年昭和22年)9月16日カスリーン台風による豪雨で渡良瀬川が氾濫。市内一万戸の内九千戸が水没したほか、後に編入する周辺市町村(後述)も多くの浸水被害を出した[5]
沿革

1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により足利郡足利町が成立する。

1914年大正3年)1月14日 - 市章を制定する[6]

1921年(大正10年)1月1日 - 足利町が県内二番目の市制施行を果たし足利市となる。

1935年昭和10年)11月16日 - 初代足利市歌・市旗を制定する[7]

1951年(昭和26年)3月30日 - 毛野村を編入する。

1953年(昭和28年)4月1日 - 山辺町を編入する。

1954年(昭和29年)

8月1日 - 三重村山前村を編入する。

11月1日 - 北郷村名草村を編入する。


1959年(昭和34年)4月1日 - 富田村を編入する。

1960年(昭和35年)7月1日 - 群馬県山田郡矢場川村の北東部を編入する。(南西部は太田市に編入する。)

1962年(昭和37年)10月1日 - 御厨町坂西町を編入。


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