足利将軍一覧
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^ 義尚の病死後、義政が「東山殿」としてしばらく政務をとったが、延徳2年1月7日に義政が死去すると次期将軍義材の父足利義視大御所として政務をとった
^ 明応の政変により義材が解官され、義澄が征夷大将軍に任ぜられるまでの期間。この期間は細川政元による京兆専制が行われていた。
^ 義輝が殺害され、三好三人衆が擁立した義栄が将軍に任官するまでの期間。この時期京都に足利家の惣領となる人物は存在しなかった。
^ 義栄の死去日について諸説あり、次の義昭の将軍宣下時における生死は不明である。
^ 一般には元亀4年(1573年)の織田信長による京都追放の時点をもって幕府機構の解体(滅亡)と見なされているが、名目上は天正16年(1588年)に豊臣秀吉の仲介で准后に叙せられるまで征夷大将軍に在職していた(『公卿補任』)。

関連項目

足利氏

足利将軍家

足利将軍家御台所

源氏 - 清和源氏


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室町幕府将軍


足利尊氏1338-1358

足利義詮1359-1367

足利義満1369-1395

足利義持1395-1423

足利義量1423-1425

足利義教1429-1441

足利義勝1442-1443

足利義政1449-1474

足利義尚1474-1489

足利義材1490-1495

足利義澄1495-1508

足利義稙(再任)1508-1522

足利義晴1522-1547

足利義輝1547-1565

足利義栄1568

足利義昭1568-1588

※足利義稙は足利義材の再任。
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