孝成王が息子の栄達を阻害する親などいるのか、と思い趙括の母にその理由を問うと、「私は趙奢の妻として、将というものを見ております。夫はいささかも奢ることなく、自ら酒食を勧めた部下は数十人、友として親しく交わった人は数百人に上りました。頂いた恩賞は残らず部下に分け与え、出陣の命を受けてからは家のことを省みませんでした。一方、括は部下へは威張り散らすだけで、下賜品は全て仕舞い込み他人には渡さず、日々値上がりしそうな物件ばかり見繕っています。こんな様ではとても父に及びません」と述べたが、それでも孝成王は容れなかった。「では、どうしても括を用いられるのならば、どんな結果でも一族などに罪を及ばせぬように願います」との趙括の母の願いだけは認めた。
前線に到着した趙括は、廉頗の戦法を支持する将達を更迭し、兵法書の通りに兵を配置し直した。そして持久戦法から一転して秦軍に対し攻勢を仕掛けた。しかし秦も、趙の総大将が趙括に代わることを聞いて、密かに総大将を王?から歴戦の勇将である白起将軍に変え、待ち構えていた。そして趙軍は白起の偽装撤退戦術にかかり、深追いして軍勢が伸びきった所を伏兵で分断され、指揮系統を失って混乱に陥り大敗を喫する。さらに秦軍の包囲によって糧道を断たれた趙軍40万は飢えに瀕し、味方を殺しあって人肉を奪い合う窮状に陥った。趙括は僅かに残った健常な兵を率いて秦軍への突撃を敢行したが、あえなく矢で射殺され、疲弊の極みに加えて統率を失った趙軍は降伏した[2]。
趙括はしばしば「丸暗記するだけで、その応用を知らない」例として引き合いに出される。そして「紙上に兵を談ず」という故事成語となった。
しかし秦も国力を使い切っており、20万人もの投降兵を養うだけの食料は無く、連れ帰ることもできない。かといって帰せば恨みをもって向かってくるだろう、と白起の判断によって240人の少年兵を残しすべてが生き埋めにされた。このため趙は国力が大幅に低下し、その滅亡を早めることになる。
後世
関連項目
馬謖:「丸暗記するだけで、その応用を知らない」例として挙げられることが多い蜀の武将
机上の空論
出典^ 史記 巻八十一 廉頗藺相如列傳 第二十一 (中国語), 史記/卷081#附 趙奢, ウィキソースより閲覧。 史記 巻八十一 廉頗藺相如列伝 趙奢の項
^ 史記 巻八十一 廉頗藺相如列傳 第二十一 (中国語), 史記/卷081#奢子 括, ウィキソースより閲覧。 史記 巻八十一 廉頗藺相如列伝 奢の子 括の項
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