石刻遺訓は、趙匡胤が石(鉄という説もあり)に刻んで子孫に伝えた遺言で、宋朝の皇帝が即位する際、必ずこれを拝み見ることが慣わしとなっていた。ただし、その存在は秘中の秘とされ、ごく一部の宮中の人間にのみ伝えられた以外は、宰相ですら知らなかったという。金軍の侵入で王宮が占領された際に発見され、初めてその存在が明るみに出た[3]。
そこに刻まれていた遺訓の内容は以下の2条である(『宋稗類鈔』巻一「君範」[4][5]、陶宗儀『説郛』によれば、正確には3つあり、第3条は上の2条を子孫代々守れという内容であった)。
趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない。
この2つの遺訓が歴代の宋王朝の皇帝たちによって守られたことは、南宋が滅亡した崖山の戦いで柴氏の子孫が戦死していること、政争で失脚した官僚が処刑されず、政局の変化によって左遷先から中央へ復帰していること(例:新法旧法の争いでの司馬光や対金講和派の秦檜など)が証明している。趙匡胤の優れた人間性が後の宋王朝の政治に反映されたことを、この石刻遺訓は物語っている(陳 1992)。
宗室
正室:会稽郡夫人賀氏(贈孝恵皇后)
長男:滕王 趙徳秀 - 夭折
次男:燕懿王 趙徳昭
三男:淑王 趙徳林 - 夭折
長女:魏国大長公主
次女:魯国大長公主
皇后:王皇后(孝明皇后)
四男:秦康恵王 趙徳芳 - 南宋の第2代以降の皇帝の先祖
皇后:宋皇后(孝章皇后) - 宋?(後唐の義寧公主の子)と後漢の永寧公主のあいだの娘。
側室:花蕊夫人 - 元後蜀の後主孟昶の側妃
生母不詳の子女
三女:陳国大長公主
四女:申国公主 - 夭折
五女:成国公主 - 夭折
六女:永国公主 - 夭折
関連作品
趙匡胤を主人公にした小説
小前亮『飛竜伝:宋の太祖 趙匡胤』(講談社、2006年) ISBN 4-06-213785-2
『宋の太祖 趙匡胤』(講談社文庫、2009年)に改題。『飛龍全伝』の翻案小説。
趙匡胤が登場するテレビドラマ
楊家将伝記 兄弟たちの乱世(2006年、中国、演:温海波
太祖960-976 / 太宗976-997 / 真宗997-1022 / 仁宗1022-1063 / 英宗1063-1067 / 神宗1067-1085 / 哲宗1085-1100 / 徽宗1100-1125 / 欽宗1125-1127
南宋
高宗1127-1162 / 孝宗1162-1189 / 光宗1189-1194 / 寧宗1194-1224 / 理宗1224-1264 / 度宗1264-1274 / 恭帝1274-1276 / 端宗1276-1278 / 祥興帝1278-1279
典拠管理データベース
全般
⇒FAST
ISNI
VIAF
WorldCat
国立図書館
ドイツ
アメリカ
日本
オーストラリア
韓国
⇒オランダ
人物
Trove(オーストラリア)
1