国府は頸城郡にあった。10世紀頃までの国衙は上越市今池と見る説が有力視される[1]。11世紀以降の中世国衙には諸説あるが、近年では上越市の直江津地区にあったと考えられている[1]。
国分寺・国分尼寺
越後国分寺跡創建時の遺構は未詳。創建時の位置から移転・再興されたという五智国分寺(上越市五智、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度10分6.77秒 東経138度13分29.74秒 / 北緯37.1685472度 東経138.2249278度 / 37.1685472; 138.2249278 (五智国分寺(越後国分寺後継寺院))
尼寺跡は不詳。
神社
延喜式内社
『延喜式神名帳』には、大社1座1社、小社55座53社の計56座54社が記載されている(「越後国の式内社一覧」参照)。大社1社は以下に示すもので、名神大社である。
蒲原郡 伊夜比古神社
比定社:彌彦神社 (西蒲原郡弥彦村弥彦)
総社・一宮以下
『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[2]。
総社:府中八幡宮に合祀 (上越市西本町、北緯37度10分20.39秒 東経138度14分14.02秒 / 北緯37.1723306度 東経138.2372278度 / 37.1723306; 138.2372278 (越後国総社:府中八幡宮に合祀))