それまで国造などの現地勢力を通じて間接的に支配されていた越国は、大化の改新によりはじめて中央政府から国司が派遣される「国」として成立した[9]。さらに689年?692年(持統3?6年)大宝律令による令制国の設置に伴い、畿内に近い地域から順に、越前国、越中国、越後国の3国へと分割された。この後は3国それぞれの歴史を歩むこととなるが、「越州」の呼称は分割後も三国の総称またはそれぞれの国の別称として広く用いられ、3国は越州(えっしゅう)あるいは三越(さんえつ)と呼ばれることがある。さらに、越前国から能登国が、ついで加賀国が分立し、越後国の出羽郡が出羽国として分立している。 現在でも北陸地方を中心に「越」「高志」「古志」にちなむ名がみられる。
「越」「高志」「古志」にちなむ名
学校名としてもよく用いられ、新潟市に高志(こうし)中等教育学校、福井市に高志高校、富山県黒部市に高志野中学校がある。
そのほか、コシヒカリ、コシサウルス、越乃寒梅、高志インテックなど。富山市に2012年7月開館した文学館は高志の国文学館と命名された。 越にかかる枕詞は「しなざかる」である。これは、「しな(信濃国)より遠ざかり越にいたる」という意味であると言われる[10]。
枕詞
脚注^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、17頁・19頁。
^ 八岐大蛇(フルネーム:高志之八俣遠呂智こしのやまたのおろち)は古志からやって来るとの記述がある。
^ 『出雲国風土記』の神門郡条。
^ 国産み#比較表を参照。
^ 鎌田元一「律令制国名表記の成立」、『律令公民制の研究』、塙書房、2001年。
^ a b 国史大事典編集委員会 編『国史大辞典』 第2巻、吉川弘文館〈国史大辞典〉(原著1982年7月1日)、286頁。ISBN 4-642-00502-1。
^ 田中卓『住吉大社神代記の研究』田中卓著作集7 図書刊行会、1998年)
^ “ ⇒福井県史 年表:507年 - 700年”. 福井県文書館. 2010年7月9日閲覧。
^ 熊田亮介(1947?)「古代国家と秋田・秋田城と雄勝城・出羽国の成立」塩谷順耳(1930?)・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月 39ページ ISBN 4-634-32050-9
^ 佐藤雄一「古代信濃の氏族と信仰」(2021年、吉川弘文館)
関連項目
蝦夷征討
鼠ヶ関 - 都岐沙羅柵
継体天皇(越前国高向の育ち)
土蜘蛛(土豪)
国造の一覧#越(越前・越中・越後・加賀・能登・出羽)
粛慎 (日本)#日本書紀中の粛慎についての記述
外部リンク
⇒越国の南端(図説 福井県史、北陸道と北の海つ道、古代の交通路)
⇒福井県史 年表(福井県文書館)
⇒『福井県史』通史編全6巻、(福井県文書館)
⇒ヤマト貴族のコシ観・史実と説話(福井県文書館)
⇒欽明31(570)年4月、越の国に高麗の使者が漂着。C5計画実行委員会、石川県石川郡野々市町
⇒阿彦の乱(富山県の古代史)
⇒船江大神宮崇神天皇10年建立- 船江の里 - 新潟市
⇒越後国風土記逸文 - 土蜘蛛(土豪)・八掬脛(ヤツカハギ)
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