走り屋
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車を横滑りさせる行為は自動車の設計において本来想定された走行ではないため、制御不能による道路逸脱や横転、崖下への転落、時には道路沿いの歩行者との接触[20]なども起こる。また、センターラインを越え、反対車線にはみ出して走行することも少なくない。加えて、ドリフト走行では路面にタイヤのスリップ痕が残るが、これが器物損壊罪にあたるとして検挙された事例も存在する[21]。故意にスリップさせるため、タイヤの異常磨耗による悪臭や白煙が問題となることもある。それゆえ、ドリフト族が多く集まる場所では、警察による取り締まりが重点的に行われたり、キャッツアイや減速帯、ポールの設置などがなされたりした[9]

一方で、1990年代末期頃からは、上記の取り締まりや対策の強化に加え、サーキットなどクローズドコースでのドリフト練習会・大会の広まりもあり、合法的なモータースポーツ競技としての側面も次第に見られるようになった。2000年からは全日本プロドリフト選手権(2001年よりD1グランプリ)が開催され[5]、2004年からはD1グランプリなどの影響を受けてアメリカ合衆国でもフォーミュラ・ドリフトの名でシリーズ戦がスタートするなど、現在では走り屋をルーツに持つ日本発祥のモータースポーツとして世界各地に広まっている。D1グランプリなどで活躍するプロのドライバーには、ドリフト族から競技に転向してステップアップしてきた者も少なくない。

他の走り屋の形態と異なり、正規のモータースポーツの模倣から始まった行為ではないことや、速さではなく目立つことや格好良さ、派手さを競うといった特徴があるため、他に比べて独自の文化がある。使用される車種はスポーツカーだけでなく高級・ミドルクラスのセダンも少なくなく、車体の塗装やホイールエアロパーツなども他に比べて派手なものも見受けられる(車両については「ドリ車」も参照)。

この日本の走り屋から生まれたドリフトの文化は、すでに欧米を中心とした海外のストリートレーサーに幅広く浸透している。中東では「アラブドリフト」(サウジドリフト)と呼ばれる、見物人(ギャラリー)が見物する中、富裕層のドライバーが直線上で危険なドリフト走行を行うことが頻発している[22]
文化
車両
オートバイ

1950年代から1960年代にかけて都市部でカミナリ族が増え、社会問題化した。

1980年代のオートバイブームの際には、レース専用車両を模したレーサーレプリカと呼ばれる型のオートバイが流行し[23]、走り屋の間でも人気を博した。彼らは、フルフェイス型のヘルメット、グローブ、ブーツ、レーシングスーツを着用することが多かった。さらにオートバイ雑誌の連載企画である読者からの投稿コーナーが人気となり、1986年には二輪車の走り屋を対象に特化した読者からの投稿専門の雑誌『バリバリマシン』が発刊された。
自動車

高速走行に適したスポーツカーの人気が高い。駆動方式はシルビアのような後輪駆動、シビックのような前輪駆動ランサーエボリューションスカイラインGT-Rのような四輪駆動など様々である。ただし、ドリフト族においてはドリフト状態を維持しやすい後輪駆動、特にFRが好まれる。

変速機マニュアルトランスミッション(MT)が圧倒的に人気である。近年では、パドルシフト等の普及、オートマチックトランスミッション(AT)の性能向上やスポーツカーへの搭載(例:フェアレディZ34の7M-ATxやデュアルクラッチトランスミッションランサーエボリューションXツインクラッチSSTやポルシェのPDKなど)、セミオートマチックトランスミッション(例:アルトワークスHA36Sオートギヤシフト))により、ATも以前よりは広まりを見せている[要出典]。

走り屋の黎明期であった1970年代から1980年代には、「街道レーサー」と呼ばれる、富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン)の前座であったシルエットフォーミュラに触発された車両の改造(グラチャン仕様やチバラキ仕様とも呼ばれる)が流行した[24]。前述の通り以前は「走り屋」の同義語であったが、現在では主にシャコタン、大きく前方に張り出したフロントスポイラーや大きく上に突き出したマフラー、リムの深いホイール、派手な装飾パーツ、大音響のエンジン音などの改造を施した旧車のことを指す俗称となっている。「族車(暴走族の改造車)」とほぼ同じ意味で使用されており、こういった改造は旧車愛好の一つのスタイルとなっている。由来は、1980年代に登場したモーターマガジン社の自動車雑誌「ホリデーオート」の読者投稿コーナー「Oh!MY街道レーサー」で、前述のスタイルの改造車が数多く登場したことによる。「レーサー」とついているが、必ずしも、昔のカミナリ族のように最高速や運転技術を競うわけではない。

1980年代後半の関東方面では車体価格が安くて後輪駆動である「ハチロク」(カローラレビンおよびスプリンタートレノの「AE86型」の通称)やR30スカイラインが人気であった[要出典]。一方で、関西方面では、1980年代後半から1990年代前半にかけて、FFであるホンダのワンダーシビック及び[姉妹車のバラードCR-Xや、グランドシビックEG型シビックなどの人気が高かった。これは、鈴鹿サーキットで行われていたシビックによるワンメイクレースやグループAレースでのシビックの活躍の影響が大きかったといわれる[25]

1990年代に入ると、シルビア180SX、R32形スカイラインなどの高性能なFRの日産車が流行したほか、ハイソカーブームの終焉によってそれらの車種が中古車市場で安価になったことから、後輪駆動のハイソカー(ソアラなど)も多く使用された。

2000年代に入ると、平成12年排ガス規制の影響やバブル崩壊後のスポーツカー人気の低下により、EK型シビック、シルビア、スープラRX-7などの走り屋に人気のあったスポーツカーの多くは生産を終え、それらの車種は中古車市場から調達することになった[注 3]

また、ドリフト族に関しては、クーペスタイルのスポーツカーだけでなく「ドリフトに向いているFRかつ中古の車体・部品が安く大量に手に入る」「パーツの互換性の高さからチューニングが容易」といった理由により、マークII三兄弟(マークIIチェイサークレスタ)やローレルセフィーロといったDセグメント相当のセダン(いわゆるかつてのハイソカー)もポピュラーな車種である。これらの車種は、1JZRB20/RB25などを搭載している事が多く、スープラなどの2JZ-GTEスカイラインGT-RRB26といった同系の高性能エンジンを換装するケースも多い。


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