走り屋
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警察庁の統計では、2017年から2021年は人数が1150?1250人前後、台数が2000?3000台前後で推移している[14]
種別
最高速

車の限界速度を追求したり、区間内のタイムを競う行為。主に高速道路で常軌を逸した速度(時によっては300km/hを超える)を保ったまま、他車を追い抜くために車線変更を繰り返しながら暴走する。関東地方では主に首都高速道路湾岸線東京湾アクアライン第三京浜道路、関西地方では阪神高速道路環状線湾岸線などに出没することが多く、東海地方では名古屋高速道路環状線伊勢湾岸自動車道東名阪自動車道などに出没することが多い。関東・中部・関西を問わずにベイエリアを主体とする者は「湾岸族」と呼ばれる。

首都高速道路湾岸線においては、2011年に起きた東日本大震災の影響が少なからず残っており、「超高速度域では車体が不安定になるものの、法定速度の二倍程度で走行している分には全く気にならないような小さなギャップ」が散見され、「湾岸族」が一斉に消えてしまった経緯がある[要出典]。

1970年代から1980年代前半にかけては「東名レース」の俗称で東名高速道路でも多数出没しており、彼らは「東名全開族」と呼ばれていた[15]
ルーレット族・環状族

主に四輪車を運転し、環状道路を暴走する行為。関東地方では「ルーレット族」、関西地方では環状族と呼ばれる[5]。1990年代頃までは一周のタイムを競うこともあった。関東地方では首都高速都心環状線、関西地方では阪神高速1号環状線、東海地方では名古屋高速都心環状線などの環状型の自動車専用道路に出没する。

首都高速道路都心環状線において最も隆盛を誇ったのが1990年代後半?2000年代である。2chの掲示板で「本気組」と呼ばれていたトップ勢の中には、外回りを1周5分を切って(法定速度順守だと約18分ほど掛かる)周回する者もいた。彼らが首都高を走るという情報は主に2chの掲示板や携帯電話を通じて共有され、走行レーンが見える一般道や各パーキングエリアに多数のギャラリーが詰めかけるなどの異様な熱気を帯びていた。ゲーム『首都高バトルシリーズ』に登場する特殊な敵キャラクター「ワンダラー」の中には、当時の「本気組」の中でも有名な車両をモデルとしたものが複数台実装された事もある。また、その車両スタイルだけを真似る「雰囲気組」が増加したことにより、各PAがオートサロン化し、深夜には一般車の利用を妨げるほど混雑することが常態化していた。年に数回警察による違法改造車の摘発がこうしたエリアで行われている。

その後、オービスの大量設置などの取り締まり強化や交通量の増加といった影響で下火となったが[5]、2020年からのコロナ禍においては、COVID-19(新型コロナウイルス)への感染予防のため外出が自粛されたことで道路が空き、活動が活発化した。2022年1月には、公道レースを実施していたルーレット族運転の車同士が衝突し、一方の運転者が死亡する事故が首都高速で起きている[16]

2006年頃には、中国の大都市でも日本の人気漫画に触発されたとみられるルーレット族が登場し、社会問題化した[17]
ローリング族

峠族、峠小僧という俗称もある。四輪車や二輪車で、峠道(ワインディングロード)をいかに速く走れるかを競う行為。狭い峠道の急カーブを曲がる際に車を制御しきれず、対向車線に飛び出して正面衝突事故や自損事故、転落事故が起こる可能性があるため、それぞれの地域(峠)ごとに「どの区間を走る」、「どこで折り返す」、「上り下りどちらを走る」などのローカルルールを作っていることもある[5][18][注 2]。しかし、あくまで勝手に決めているものであり、知らずに通りかかった一般車が巻き添えとなる可能性は排除できない。

また、一般車や歩行者に危険を及ぼしたり通行を妨げたり、近隣住民への騒音被害や道路設備の損壊といったことが社会問題化することも少なくない[7]。被害の多い地域では夜間の通行禁止などを余儀なくされた道路もある。

一方で、カーブの多い道路形状にそって速く走ることは、車の性能以外にもドライバーの技術によるところが大きく、ローリング族として技術を蓄えた者がサーキットでの走行へ切り替えたり、プロのレーシングドライバーとなることもある。「頭文字D」および「バリバリ伝説」も参照
ゼロヨン

発祥は.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄4マイル(約402メートル)の直線での到達時間を競う、1950年代から1960年代にアメリカ合衆国の若者の間で流行した違法公道レースであり、現在はモータースポーツとして定着しているドラッグレースを倣ったもの。日本には1970年代後半に伝わり、各地の公道でレースが行われるようになった[19]

アイドリング状態からアクセルペダルのベタ踏みで急加速し、400m地点までへの到達タイムを競う。短距離ではあるが、およそこのレース用に改造された大パワー車が用いられることが多く、最高速度は200km/h前後に達することもある。主に直線が続き道路幅が広い所、交通量が少なくなった深夜・早朝の時間帯を見計らって、工業団地港湾(埠頭)に出没することが多い。ただし、現在は取り締まりの強化や夜間の進入禁止といった理由から他の走り屋と同様減少傾向にある[5]

「ゼロヨン」という言葉は日本の非合法公道レースを指すことが多く、公式競技では国際的呼称の「ドラッグレース」と呼ぶことが一般的である。
ドリフト族

主に深夜の峠や広い駐車場・港で、車を意図的に横滑り(ドリフト走行)させながら暴走する行為。他の走り屋と違い、速さよりも「いかに格好良く滑らせながら走って目立つか」に重点を置く。

車を横滑りさせる行為は自動車の設計において本来想定された走行ではないため、制御不能による道路逸脱や横転、崖下への転落、時には道路沿いの歩行者との接触[20]なども起こる。また、センターラインを越え、反対車線にはみ出して走行することも少なくない。加えて、ドリフト走行では路面にタイヤのスリップ痕が残るが、これが器物損壊罪にあたるとして検挙された事例も存在する[21]。故意にスリップさせるため、タイヤの異常磨耗による悪臭や白煙が問題となることもある。それゆえ、ドリフト族が多く集まる場所では、警察による取り締まりが重点的に行われたり、キャッツアイや減速帯、ポールの設置などがなされたりした[9]

一方で、1990年代末期頃からは、上記の取り締まりや対策の強化に加え、サーキットなどクローズドコースでのドリフト練習会・大会の広まりもあり、合法的なモータースポーツ競技としての側面も次第に見られるようになった。2000年からは全日本プロドリフト選手権(2001年よりD1グランプリ)が開催され[5]、2004年からはD1グランプリなどの影響を受けてアメリカ合衆国でもフォーミュラ・ドリフトの名でシリーズ戦がスタートするなど、現在では走り屋をルーツに持つ日本発祥のモータースポーツとして世界各地に広まっている。D1グランプリなどで活躍するプロのドライバーには、ドリフト族から競技に転向してステップアップしてきた者も少なくない。

他の走り屋の形態と異なり、正規のモータースポーツの模倣から始まった行為ではないことや、速さではなく目立つことや格好良さ、派手さを競うといった特徴があるため、他に比べて独自の文化がある。使用される車種はスポーツカーだけでなく高級・ミドルクラスのセダンも少なくなく、車体の塗装やホイールエアロパーツなども他に比べて派手なものも見受けられる(車両については「ドリ車」も参照)。

この日本の走り屋から生まれたドリフトの文化は、すでに欧米を中心とした海外のストリートレーサーに幅広く浸透している。中東では「アラブドリフト」(サウジドリフト)と呼ばれる、見物人(ギャラリー)が見物する中、富裕層のドライバーが直線上で危険なドリフト走行を行うことが頻発している[22]
文化
車両


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