走り屋
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ただこの呼称について、特にそれらマニアからは好意的な解釈をもって受け止められており、自動車関連のプロや評論家の紹介にも使用されることがある[10]

走る場所によって、警察やマスコミから、「ゼロヨン」「ドリフト族」「ルーレット族」「環状族」「ローリング族」「峠族」といったように呼ばれることもある[8]
歴史
勃興

1970年代後半以降、1950-1960年代のカミナリ族の嗜好を受け継ぐ、「暴走族」の中でも運転技術や速さを重視する集団が「街道レーサー」と呼ばれるようになり、後に「走り屋」という名称が生まれる。

また、サーキットなどのモータースポーツ施設が多くなかった1970年代には、正規の競技会以外に練習をしようとも、専用コースを借りることは極めて困難であった。それゆえ、公認競技に出場するドライバーでさえ、深夜の峠道や河川敷、林道を走り込んで腕を磨くことは一般的であり、現在よりも公認の競技と非公認の違法走行の境目は曖昧であった[9]
発展・隆盛

1980年代になると、ラリーなどに使用されるナンバー付き競技車両の規定が、公害や交通事故の増加などを重く見た行政の干渉を受けて大きく変更される。1980年にはエンジン関連の改造が禁止され、1986年にはロールケージなどの競技に必要な安全装備に関する改造まで禁止される(半年後、改造車検の取得を条件に認められた)。これらを契機に、日本自動車連盟(JAF)への不信感を強め、競技から離れたり、非公認の走行へと活動の場を移した者も多かった[9]。この不合理な法規とそれを反映した行政の対策は、結果としてドライバーやチューニングショップに対して「公認」と「非公認」どちらを選ぶかの踏み絵のように機能し、モータースポーツを公認競技とストリート(走り屋)を含む非公認部門へと二分化することとなった[9]

街道レーサーの文化や法規の変化を反映したストリートでの非公認な競技走行という下地に加えて、1980年代以降自動車の高性能化が進むと、走り屋は1980年代から1990年代にかけて増加、隆盛を誇った。首都高速都心環状線を高速走行する「ルーレット族」や阪神高速1号環状線を高速で周回する「環状族」、埠頭などの港湾地区や峠道で車を意図的に横滑りさせて走行する「ドリフト族」、峠道などのカーブでバイクの車体を倒して膝を擦りながら走行する「ローリング族」、公道で停止状態から0-400mの加速タイムを競う「ゼロヨン族」など、様々な形態とそれに対応する呼称が生まれたのもこの時代である[5]

また、1990年代にはしげの秀一の『頭文字D』や楠みちはる湾岸ミッドナイト』など、走り屋をテーマとした漫画作品なども生まれ、人気を博した。特に前者は、主人公が作中で駆るスプリンタートレノ(AE86型)の中古車相場高騰や[11]、作中に登場する「溝落とし」や「インベタのさらにイン」といった走行技術を真似しようとする読者が現れるようになるなど、社会的にも大きな影響を与えた。
衰退と「若者の車離れ」

若者の車離れも参照。

いわゆる団塊ジュニア世代が成人・免許取得・乗用車を所有し始めた1990年代をピークに、その後は走り屋の減少傾向が続いている。

原因のひとつが、バブル景気の崩壊以降若者が自動車に興味を示さなくなっていったことである。バブル崩壊以降の景気悪化による収入減と、乗用車の高性能化・安全性追求による車両価格の増大という二つの経済的要因が重なり、走り屋の主要な年齢層である若者世代が以前に比べ車やオートバイに興味を示さなくなった。

また、2004年には道路交通法が改正され、共同危険行為による立件の容易化や、検挙した際の厳罰化がなされたことも、走り屋減少の原因の一つとなった[12]

加えて、四輪車に関しては、平成12年排ガス規制においてスープラRX-7スカイラインGT-Rシルビアといった走り屋に人気があったスポーツカーが次々と生産中止となり、中古スポーツカーの値崩れに歯止めがかかったことも、走り屋の衰退を加速させた。
現在

前述のように、若者の車離れの進行や、警察による取り締まりや違法競走暴走行為対策の強化、スポーツカーの減少といった要因によって、走り屋自体の消滅には至っていないものの、その絶対数は減少している。

加えて、近年では1980年代から1990年代の走り屋全盛期に人気を博したスポーツカーが、経年劣化やエコカー補助金によって廃車となったり、日本の走り屋文化が海外に知れ渡った(「JDM」、「スポーツコンパクト」項目も参照のこと)ことによって日本製スポーツカーの海外流出が増加したりした結果、中古車として流通する台数が減り[13]、同時に価格上昇も進んでいる。また、新車で販売される車両に関しても、ATが普及し、ハイブリッドカーSUVミニバンの割合が増加する一方で、スポーツカー、特にMTを搭載した車両が減少傾向にあることも影響して、走り屋の数は全盛期に比べると少ない。警察庁の統計では、2017年から2021年は人数が1150?1250人前後、台数が2000?3000台前後で推移している[14]
種別
最高速

車の限界速度を追求したり、区間内のタイムを競う行為。主に高速道路で常軌を逸した速度(時によっては300km/hを超える)を保ったまま、他車を追い抜くために車線変更を繰り返しながら暴走する。関東地方では主に首都高速道路湾岸線東京湾アクアライン第三京浜道路、関西地方では阪神高速道路環状線湾岸線などに出没することが多く、東海地方では名古屋高速道路環状線伊勢湾岸自動車道東名阪自動車道などに出没することが多い。関東・中部・関西を問わずにベイエリアを主体とする者は「湾岸族」と呼ばれる。

首都高速道路湾岸線においては、2011年に起きた東日本大震災の影響が少なからず残っており、「超高速度域では車体が不安定になるものの、法定速度の二倍程度で走行している分には全く気にならないような小さなギャップ」が散見され、「湾岸族」が一斉に消えてしまった経緯がある[要出典]。

1970年代から1980年代前半にかけては「東名レース」の俗称で東名高速道路でも多数出没しており、彼らは「東名全開族」と呼ばれていた[15]
ルーレット族・環状族

主に四輪車を運転し、環状道路を暴走する行為。関東地方では「ルーレット族」、関西地方では環状族と呼ばれる[5]。1990年代頃までは一周のタイムを競うこともあった。関東地方では首都高速都心環状線、関西地方では阪神高速1号環状線、東海地方では名古屋高速都心環状線などの環状型の自動車専用道路に出没する。

首都高速道路都心環状線において最も隆盛を誇ったのが1990年代後半?2000年代である。2chの掲示板で「本気組」と呼ばれていたトップ勢の中には、外回りを1周5分を切って(法定速度順守だと約18分ほど掛かる)周回する者もいた。彼らが首都高を走るという情報は主に2chの掲示板や携帯電話を通じて共有され、走行レーンが見える一般道や各パーキングエリアに多数のギャラリーが詰めかけるなどの異様な熱気を帯びていた。ゲーム『首都高バトルシリーズ』に登場する特殊な敵キャラクター「ワンダラー」の中には、当時の「本気組」の中でも有名な車両をモデルとしたものが複数台実装された事もある。また、その車両スタイルだけを真似る「雰囲気組」が増加したことにより、各PAがオートサロン化し、深夜には一般車の利用を妨げるほど混雑することが常態化していた。年に数回警察による違法改造車の摘発がこうしたエリアで行われている。

その後、オービスの大量設置などの取り締まり強化や交通量の増加といった影響で下火となったが[5]、2020年からのコロナ禍においては、COVID-19(新型コロナウイルス)への感染予防のため外出が自粛されたことで道路が空き、活動が活発化した。


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