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「赤道ギニアの駐在外国公館の一覧(英語版)」も参照
日本との関係「日本と赤道ギニアの関係」を参照
在留日本人数 - 9人(2023年8月現在:外務省)[23]
在日赤道ギニア人数 - 1人(2022年12月現在:法務省)[23]
国家安全保障「赤道ギニアの軍事(スペイン語版、英語版)」も参照
赤道ギニア軍は陸軍、海軍、航空団から成り、志願制で総兵力1,320人の国軍がある[24]。
これらとは別にモロッコ軍から派遣された350人から成る大統領警護隊が存在している。
2021年3月7日にバタ市の基地で爆発が発生した。10日までに死者98人、負傷者615人を出す惨事となった。爆発の原因については、ダイナマイトや発火装置の取り扱いミスによるものと発表されている[25]。
地方行政区分詳細は「赤道ギニアの行政区画」を参照赤道ギニアの県(ジブロホは表示されていない)
赤道ギニアは8県に分けられている。( )内は県庁所在地。
アンノボン県 (パレ)
北ビオコ県 (マラボ)
南ビオコ県 (ルバ)
中南部県 (エヴィナヨング)
キエンテム県 (エベビイン)
リトラル県 (バタ)
ウェレンザス県 (モンゴモ)
ジブロホ市(ラパス) - 2017年発足
大陸部の4県(中南部県、キエンテム県、リトラル県、ウェレンザス県、ジブロホ市)を総称してリオ・ムニと呼ぶ。
主要都市詳細は「赤道ギニアの都市の一覧」を参照
主要な都市はビオコ島の北部にある首都のマラボ(人口15万人、2014年)と[26]、リオ・ムニの中心である港湾都市バタ(人口13万人、2001年)がある[26]。ンゲマ大統領は2012年に首都移転計画を発表し、リオムニ東部の内陸部に新首都としてラパス(旧称オヤラ)の建設が進んでいる[27]。
地理詳細は「赤道ギニアの地理」を参照赤道ギニアの地図ビオコ島の海岸
赤道ギニアの地理はギニア湾のビオコ島と大陸のリオ・ムニ、そしてアンノボン島など周囲の島々からなる。
カメルーンの西56km、リオ・ムニの北西約259kmに位置するビオコ島は火山島であり、最高地点は標高3,008mのマラボ山(旧名サンタ・イサベル山)である[4]。1970年代まではポルトガル人の「発見」者の名にちなみフェルナンド・ポー島と呼ばれた。南部海岸はごつごつしているが、北部は標高も低く近づきやすい。マラボとルバという良港があり、その間にはいくつかの美しい浜がある。ビオコ島は火山性の肥沃な土壌と豊富な降水量に恵まれるため、古くからプランテーションが開かれ農業生産が盛んだった[28]。アンノボン島も火山島でビオコ島の南西686kmに位置する[29]。海岸は急で小さな湖がある。推定2,500人の住民の多くは、伝統的なカツオ漁や鯨漁に従事している。
リオ・ムニは北をカメルーン、東と南をガボン、西をギニア湾(大西洋)に接している。主な河川は3本存在し、いずれも東から西へと流れてギニア湾へ注ぐ。最も北のンテム川はカメルーンとの国境を、最も南のムニ川はガボンとの国境をなし中央をベニト川が貫いている[29]。標高の低い丘陵や台地が多く、隣国ガボンに続くシエラ・クリスタル山脈にある大陸部最高地点であるミトラ山でも1,200mである。リオ・ムニは植生としては熱帯雨林が広がっている。海岸はマングローブの森である。
赤道ギニアの総面積28,051km2のうち、ビオコ島 (2,017km2) とアンノボン島 (17km2) からなる諸島部の総面積は2,034km2である。大陸部のリオ・ムニ (26,003km2) の近くにコリスコ島、エロベイ・グランデ島とエロベイ・チコ島からなるエロベイ諸島 (17km2) がある。コリスコ島については、ガボンとの間に領有権の争いがある。 赤道ギニアの気候はビオコ島、リオ・ムニともに熱帯モンスーン気候 (Am) に属し、短い乾季がある。リオ・ムニの雨季は2月から6月、9月から12月で内陸より海岸部で雨が多い。バタでの年間雨量は2,400mm、カラトラバでは4,000mmに達することがある。内陸のミコメセング
気候
ビオコ島の乾季は11月から3月である。年間平均気温は25度で気温変化は少なく、空は一日中どんよりしている。南部で特に雨が多く、サン・アントニア・デ・ウレカではモンスーンにより年間11,000mmの雨がもたらされることがある[5]。
経済首都マラボ詳細は「赤道ギニアの経済」を参照
伝統的にカカオとコーヒーのプランテーションの国であり、1960年代の輸出額はカカオ38%、コーヒー25%、木材10%となっていた[30]。主力のカカオはビオコ島で主に生産され、コーヒーや木材はリオムニで生産されている[31]。独立後、マシアス・ンゲマの暴政によって一時プランテーションの産出量が激減したものの回復し、1980年代までこの構造に変化はなかった[8]。
ところが1992年にビオコ島沖のアルバ油田で原油生産が開始されて以来、主産業は農林水産業から鉱業生産に依存するようになり、さらに1996年のザフィーロ油田、2000年のセイバ油田と新規油田の開発が相次いだため、2011年には原油輸出が40.3%、天然ガス輸出が25.3%を占めるようになって[32]、完全に鉱業を基盤とするようになった。2017年には石油輸出国機構 (OPEC) に加盟した[33]。