赤沼藩
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注釈^ a b 高森村は那珂郡(西那珂郡)に属していたが[1]、元禄15年(1702年)に真壁郡に編入された[1][2]。中世の那珂郡は現在と領域が異なっており、那珂川を境界に「那珂東郡」「那珂西郡」と呼ばれていた[3]太閤検地の際に那珂西郡は茨城郡になったとされるが[3]、この際に高森村などは那珂郡のまま残ったことになる。
^ 実父は、正次の兄の内藤正隆[10](政季[13])。
^ 朽木家は寛文9年(1669年)に土浦から転出。
^ 『角川地名大辞典』の「高森藩」は越前高森藩についての項目であり、「赤松藩」が移封された先の常陸高森藩についての項目はない。
^ 『藩史事典』(秋田書店、1976年)や『角川地名大辞典』では「赤松藩」の表記が用いられている。

出典^ a b “ ⇒真壁郡”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
^ a b “ ⇒高森村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
^ a b “ ⇒那珂郡”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
^ 埼玉県立久喜図書館(回答). “赤沼藩二代藩主、内藤正友の常陸高森の陣屋の所在地(現在の比定地)が知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
^ a b c d e f g h i j 『寛政重修諸家譜』巻第八百十五、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.256。
^ a b c d 埼玉県立久喜図書館(回答). “赤沼藩の初代藩主、内藤正勝が大名となった以降に「居所 赤沼」、あるいは「赤沼藩」と記された文書があるか知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
^ a b “ ⇒赤松藩(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
^ 埼玉県立久喜図書館(回答). “赤沼藩二代藩主、内藤正友が常陸高森に陣屋を構えてからの藩の名を「高森藩」とする資料と「赤沼藩」とする資料がある。幕府は、藩の名前を特定しなかったのか知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
^ a b 埼玉県立久喜図書館(回答). “「高森藩」または「高森陣屋(所)」に関する資料が見たい。”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
^ a b “内藤正勝(2)”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年5月15日閲覧。
^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第八百十五、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.255。
^ a b “ ⇒赤沼村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
^ 『寛政重修諸家譜』巻第八百十五、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.254。
^ a b c d 茨城県立図書館(回答). “元禄期に武州比企郡赤沼村に陣屋を構え、赤沼藩を立藩した譜代大名・内藤上野介正勝(1万6千石)の遺領を継いだ嫡子内藤式部少輔正友が、常陸国真壁郡の高森(大和村高森)に陣屋を構え、「高森藩」を称したとする説がありますが……”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
^ 『藩と城下町の事典』, p. 99.
^ 『藩と城下町の事典』, p. 197.

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