邦題の『赤毛のアン』は、村岡花子が初邦訳を手掛けた時に付けられたものである。村岡は教文館の同僚、カナダ人宣教師ミス・ショーが戦局から1939年にカナダに帰る際に原書を渡された(ショーは出版の翌年に亡くなり、再会することはなかった)。当初、村岡は『窓辺に倚る少女』という題を考えていた[8]が、刊行する三笠書房の編集者・小池喜孝が『赤毛のアン』という題を提案し[9]、当時の社長の竹内道之助が村岡にこれを伝えた。
村岡はこれを一旦断るが、これを聞いた村岡の娘のみどり(当時20歳)が『赤毛のアン』という題に賛同し、これを強く推した。このため村岡は、娘のみどりのような若い読者の感覚に任せることにし、『赤毛のアン』という邦題を決定した[10]。しかし、こうして刊行された『赤毛のアン』の表紙に描かれていたのは、どう見ても金髪の少女[11]であった[12]。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}なお、イタリア語訳の題名も「赤毛のアン」を意味する Anna dai capelli rossi となっているが、これは、翻訳書の刊行よりも先に、日本のアニメ作品が、この題名でイタリアで放送されたことが影響していると考えられている[要出典][13][出典無効]。