赤坂_(東京都港区)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

明治時代には、1・2丁目の東半分の表通りは商店街として賑わい、3・4丁目は旧武家屋敷であり官公庁や華族などの邸宅地となった[13]。1966年に1丁目が元赤坂1丁目に、2丁目が元赤坂1丁目と赤坂4丁目に、3丁目が赤坂4・7丁目に、4丁目が赤坂8丁目に編入された。
赤坂田町

赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された[14]。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取り立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された[15]1760年宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所も出来て人気を集めた[16]明治時代には1?4丁目(現:赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった[14]。1966年に赤坂田町1?7丁目が赤坂1?3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった[17]。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている[18]

1973年の赤坂見附立体交差点付近

永田町から赤坂見附立体交差を見る

一ツ木通り

TBS放送センター

世帯数と人口

2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
赤坂一丁目300世帯642人
赤坂二丁目2,090世帯3,085人
赤坂三丁目195世帯266人
赤坂四丁目1,358世帯2,280人
赤坂五丁目530世帯901人
赤坂六丁目2,489世帯4,003人
赤坂七丁目1,559世帯2,553人
赤坂八丁目1,737世帯3,293人
赤坂九丁目1,453世帯2,157人
計13,801世帯19,180人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19]

丁目番地小学校中学校
赤坂一丁目全域港区立赤坂小学校港区立赤坂中学校
赤坂二丁目全域
赤坂三丁目全域
赤坂四丁目全域
赤坂五丁目全域
赤坂六丁目全域
赤坂七丁目全域
赤坂八丁目全域
赤坂九丁目全域

教育

かつて日本大学第三高校がTBS赤坂サカス国際新赤坂ビル周辺界隈にあったが、1976年に町田に移転。都立赤坂高校は赤坂で創立されたが1957年に青山霊園傍の南青山に移転し2009年に閉校した。また、外堀通りに面して隣接する永田町には1929年以来都立日比谷高校が所在する。
大学機関


国際医療福祉大学

高等学校


山脇学園高等学校

中学校


山脇学園中学校

港区立赤坂中学校

小学校


港区立赤坂小学校

幼稚園


港区立中之町幼稚園

交通
鉄道

東京地下鉄 赤坂駅(○千代田線

東京地下鉄 赤坂見附駅(○銀座線、○丸ノ内線

都営地下鉄 六本木駅(○大江戸線

東京地下鉄 溜池山王駅(○銀座線、○南北線)- 出入口が設けられている。(所在地:永田町

東京地下鉄 永田町駅(○南北線、○有楽町線、○半蔵門線)- 出入口が設けられている。(所在地:永田町)

東京地下鉄 乃木坂駅(○千代田線)- 出入口が設けられている。(所在地:南青山


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:83 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef