赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された[14]。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取り立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された[15]。1760年(宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年(文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所も出来て人気を集めた[16]。明治時代には1?4丁目(現:赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった[14]。1966年に赤坂田町1?7丁目が赤坂1?3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった[17]。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている[18]。 2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 丁目世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19]。 丁目番地小学校中学校 かつて日本大学第三高校がTBS赤坂サカスや国際新赤坂ビル周辺界隈にあったが、1976年に町田に移転。都立赤坂高校は赤坂で創立されたが1957年に青山霊園傍の南青山に移転し2009年に閉校した。また、外堀通りに面して隣接する永田町には1929年以来都立日比谷高校が所在する。
1973年の赤坂見附立体交差点付近
永田町から赤坂見附立体交差を見る
一ツ木通り
TBS放送センター
世帯数と人口
赤坂一丁目300世帯642人
赤坂二丁目2,090世帯3,085人
赤坂三丁目195世帯266人
赤坂四丁目1,358世帯2,280人
赤坂五丁目530世帯901人
赤坂六丁目2,489世帯4,003人
赤坂七丁目1,559世帯2,553人
赤坂八丁目1,737世帯3,293人
赤坂九丁目1,453世帯2,157人
計13,801世帯19,180人
小・中学校の学区
赤坂一丁目全域港区立赤坂小学校港区立赤坂中学校
赤坂二丁目全域
赤坂三丁目全域
赤坂四丁目全域
赤坂五丁目全域
赤坂六丁目全域
赤坂七丁目全域
赤坂八丁目全域
赤坂九丁目全域
教育
大学機関
国際医療福祉大学
高等学校
山脇学園高等学校
中学校
山脇学園中学校
港区立赤坂中学校
小学校
港区立赤坂小学校
幼稚園
港区立中之町幼稚園
交通
鉄道
東京地下鉄 赤坂駅(○千代田線)
東京地下鉄 赤坂見附駅(○銀座線、○丸ノ内線)
都営地下鉄 六本木駅(○大江戸線)
東京地下鉄 溜池山王駅(○銀座線、○南北線)- 出入口が設けられている。(所在地:永田町)
東京地下鉄 永田町駅(○南北線、○有楽町線、○半蔵門線)- 出入口が設けられている。
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