赤坂迎賓館
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この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂であり、最大約130名の席が設けられている。
朝日の間(あさひ-の-ま)
朝日の間名称は天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車(チャリオット)を走らせている姿」のフレスコ画に由来している[1]。天井画は長径8.26m, 短径5.15mの大きな楕円形である。室内は古典主義様式であり、壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られている。広さは約200平米ある。国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などの行事が行われている。
羽衣の間(はごろも-の-ま)
名称は天井に謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300平方メートルの曲面画法による大壁画(フレスコ画)があることに由来している。広さ約330平方メートルで、典型的なロココ様式である[1]。室内は朝日の間と同様、古典主義様式である。正面の中2階には、オーケストラボックスがある。これは、羽衣の間が舞踏会場として設計されたからである。しかし実際に舞踏会が開かれたという記録はない。迎賓館の中で最も大きいシャンデリア(部品7000個[4]、重量800キログラム)がある。広さは約330平米ある。この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、また、晩餐会の招待客に食前酒食後酒が供されたりする場所である。
東の間(ひがし-の-ま)
建物の2階の東の端にある。アルハンブラ宮殿スペイン)にならったムーリッシュ様式のアラベスク装飾が特徴。かつては喫煙室、現在は控え室として使われている。一般参観ルートには入っておらず、通常非公開。
中央階段(ちゅうおうかいだん)と二階大ホール
欧州産の各種大理石がふんだんに用いられた階段とホール。ホールには小磯良平の絵画が飾られている。来訪した賓客を天皇・皇后が迎える。

ある。
和風別館
游心亭(ゆうしんてい)
1974年(昭和49年)に、
谷口吉郎の設計により新設された。主和室は47敷である。現在の和風別館は「日本らしいもてなしを行う施設」として、主に国公賓の会食や茶会などに供されてきた。珍しいところでは2016年12月に将棋の第2期叡王戦第2局が行われている[6]。なおこれらの施設は残しつつ、新たに宿泊施設を設けるなどの施設拡充が計画されている。和風別館の増改築事業については、安藤忠雄らの設計共同体が設計者として選定された。
衛舎

正門から本館へと向かう左右(東西方向)に建つ旧衛士詰所シンメトリーで双方とも23.3×6.4m、地上1階地下1階、寄棟造スレート葺き。国宝指定。
ギャラリー

正門(2018年6月24日撮影)

主庭の噴水

前庭

主庭

正面玄関と庭

国会図書館として使用されていた当時

フォードとゴルバチョフの庭園植樹

游心亭

衛舎

ライトアップ時(東京パラリンピックの聖火の集火式にて)

エピソード

ヨーロッパにおける貴族の邸宅は、中央にある大広間と食堂部分だけが共有で、夫婦は両翼の別棟でそれぞれの暮らしが出来るような構造になっていた。そのため政略結婚した夫婦は、同じ屋根の下に住んでいても、赤の他人も同然の暮らしをしていた(事実、不倫も珍しいものではなかった)。赤坂離宮は当時の皇太子夫妻の新居として造営されたにもかかわらず、こうした造りの建物がモデルになっている。ヨーロッパ貴族の生活習慣を知らずに、西洋建築のモデルをそのまま真似て設計したことが原因であったと、建築史家の藤森照信は論じている[7]
備考
游心亭の再現

石川県金沢市にある谷口吉郎・吉生記念金沢建築館には迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」(谷口吉郎設計)の広間と茶室を再現した展示がある[8]
ドキュメンタリー

ハイビジョン特集「華麗なる宮殿への招待 迎賓館百年の物語」(2006年、
NHK-BSP[9]

脚注^ a b c d 本田榮二『ビジュアル解説 インテリアの歴史』秀和システム、2011年、461頁。 
^ 迎賓館ねらい火炎車 中核派サミット・ゲリラ『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月8日夕刊 3版 11面
^ 迎賓館改修工事延長のお知らせ 内閣府迎賓館ページ
^ a b c 【ぐるっと首都圏 旅するみつける】東京 迎賓館赤坂離宮/最高峰「おもてなし」空間/国内観光客に人気『毎日新聞』朝刊2019年1月27日(首都圏面)2019年1月29日閲覧。


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