贈位
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昭和22年(1947年)5月3日、新たな栄典制度ができるまでの間、官吏・議員等に対する叙位・叙勲は一時停止することが閣議決定された[15]第1次吉田内閣は停止の理由として前年に官等制度が廃止されたため、等級付による叙位が困難になったことと、新憲法制定後には恩賞制度が再考される可能性が高かったことをあげている[16]。5月23日には死没者および退職者に対する叙位は再開された[17]。これにより戦没者を除く死没者に対する叙位・叙勲については存続させる方針がとられ、位階制度そのものについても残置された。内閣総理大臣官房賞勲部長村田八千穗は、昭和27年(1952年)に「従来贈位という制度がございましたが、これは今後も行うことが適当じやないか、そのために位を存置しておきたい」と答弁している[18]

以降の死没者への位階授与は、基本的に「叙位」という言葉が用いられ、すでに位階を持っていた人物への上位の叙位は「追陞」という言葉が用いられることもあった[注釈 1]。これらの「叙位」においては贈位で用いられた「贈」の字は用いられない。一方で昭和35年(1960年8月15日には終戦時の首相で10年以上前に死去していた鈴木貫太郎従一位が@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「贈位」されている[要出典]。また同年8月30日には明治用水各務用水開鑿の功労者4名[21]、翌年3月31日には2名の開拓功労者への「贈位」が閣議決定され、特旨によって「贈位」が行われた[22]

日本国憲法下での叙位は内閣の助言と承認により天皇の国事行為として行われる[23]。勲等・勲章に関しては賞勲局が取り扱うが、叙位に関しては内閣府人事課が取り扱う。叙勲を受けた後に死亡したものに対して哀悼の意をこめて贈られ、団体や役所の推薦を必要とするため、叙位者は政官界の関係者が多く、民間は少ない傾向がある[24]

昭和38年(1963年)、第2次池田内閣において生存者に対する叙勲が再開されるという閣議決定が行われたが、生存者叙位については再開されなかった[11]。昭和39年(1964年)1月7日には「戦没者の叙位及び叙勲について」が閣議決定され[25]第二次世界大戦の戦没者に対する叙位・叙勲が復活している。
脚注^ 追陞の語は戦前から使用されていたが、昭和24年(1949年)の時点でも用いられていた[19]令和元年(2019年)に没した中曽根康弘は生前に従六位の位階を持っていたが、従一位への叙位が行われている[20]



出典^ a b 及川祥平 2010, p. 88-89.
^ 「故毛利元就贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110299200 
^ 「故上杉輝虎外四名贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110299500 
^ 「故藤原惺窩外二名特旨贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110508100 
^ a b 及川祥平 2010, p. 90.
^ 及川祥平 2010, p. 97-98.
^ 及川祥平 2010, p. 98.
^ 及川祥平 2010, p. 99.
^ 及川祥平 2010, p. 103.
^ 及川祥平 2010, p. 107.
^ a b “栄典制度の在り方に関する懇談会第1回議事録”. 内閣府ホームページ. 2023年11月28日閲覧。
^ 及川祥平 2010, p. 89-90.
^ a b 及川祥平 2010, p. 92.
^ 及川祥平 2010, p. 100.
^ 「官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.A17111111900 
^ 「官吏に対する定例叙位叙勲に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.A17111112100 
^ 「官吏等に対する叙位及び叙勲の取扱に関する件(閣議決定)」 アジア歴史資料センター Ref.A17111113700 
^ “第15回国会 衆議院 内閣委員会 第12号 昭和27年12月22日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム”. 2023年11月24日閲覧。


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